あゝ上野駅 リバイバルトレイン入線待ち

「あゝ上野駅」
〜リバイバル・トレイン入線待ち〜




重垣:「昭和の記憶」シリーズは舞台を昭和30年代にして、さらに続きます。昭和39年にヒットした、集団就職 で上京した中高生を歌った昭和の名曲「あゝ上野駅」を使った、リバイバル・トレインの入線を待っている、勤務中の宗村高光の姿を、VIPERさんに描いて いただきました。
宗村上野駅17番線勤務の、宗村です。今回は、国鉄型車両で、運転士、客扱専務車掌、車掌も国鉄の制服姿で乗務するリバイバル・トレインの 一環で、昭和29年から昭和40年代まで、北海道、東北、北陸の、東京方面の商店、会社、工 場に就職する中高生を乗せた就職列車を当時のダイヤで復元したものです。よって、上野駅で「○○中学校、○○高校の皆さん、長旅お疲れさまでした…」とい う構内放送で迎えた駅員のわたしも、当時の制服姿です。
重垣:ちょうどこれは、列車の遅延を知らせる電話をうけた瞬間ですね。
宗村いまでは電車列車、気動車列車化が進んだ日本の鉄道ですが、昭和40年代の「動力近代化」までは、機関車が牽引する機関車列車が ほとんどです。ですから今回の列車番号18K「あゝ上野駅号」も、未電化区間は蒸気機関車D-51とディーゼル機関車DD-51、電化区間は交直流対応のEF-80で牽引しているので、途中駅での付替に手間取って、3分ほどです が、遅延しているわけです。
重垣:今まで何回か紹介した、イベント企画に対抗する作品でもありますね。
宗村対抗…というといささか角が立ちますが、イベントの日も仕事の人はいっ ぱいいます。それに、今年(平成19年)117日に「あゝ上野駅」を歌った井沢八郎さんが亡くなったので、追悼企画になりました。高度経済成長を支えた真の力、「金の玉 子」の集団就職の中高生を歌った「あゝ上野駅」は、後世に歌いついでいきたい作品です。
重垣:わたしの父親も、吉幾三さんの「津軽平野」の歌詞ではないですが、冬になると「おうはひとり  出稼ぎ支度」で、出稼ぎに出ていました…。「金の玉子」の父親、兄の季節労働者も、高度経済成長のインフラ整備に貢献しましたからね、宗村さんが「一部の 人間を持ち上げるだけの『プロジェクトX 』はおかしい」という理由がよくわかります。ところで、今回の制服は…
宗村上野駅が北への玄関口だった時期でもある、昭和40年代まで使われていた、国鉄の昭和23年制定の接客職種制服です。通勤列車に乗務する電車運転士も これを着用していました。5つボタンで すが、ほとんどのケースで開襟にして、今回のような着方をしていました。「昭和20年8月15日、敗戦の日も鉄道は動いていた」では昭和9年から20年までの詰襟式制服、「今日も鉄道は、動 いている」の民営化までの3つボタン背広型制服と比べてみると、時代の変遷によるデザインの変化もわかり、面白いかもしれません。
重垣:「激動の昭和」を彩った制服姿を、現代によみがえらせるレイヤーズのメンバーでもある、宗村さんらしい言葉です ね。このイラストは、管理人が 無かったら作ればいい、オーダーメイドCOMオーダーメ イド・コムを経由し、クリエーターのVIPERさんに描いてもらった作品です。利用権は管理人、著作権はVIPERさん、総合的著作権はオーダーメイド・ コムが所有します。
宗村よって、無断転載、無断リンクは禁止します。著作権法違反で逮捕されな いように。