「いい日旅立ち」
〜終着駅は始発駅〜

重垣:往年の鉄道写真少年のネガに今も残る、あの日の姿。蒸気機関車の機関士、機関助士の姿を、VIPERさんに描いていただきました。
高村:これは、貨物型蒸気の9600型、D-50、D-51、D-52に、構内入れ替え専務のB-20まで呼んだ、「本領発揮だ、レイヤーズ」のときの、スチールショットなんだ。あれはすごかったよな、ムネさん。
宗村:実藤の勤める博物館が作った映画での一瞬だったけど、あれはすごかったね。客車、貨車も当時使っていた形式に改造しているし、D-52は戦時生産簡易型の木製除煙板、カマボコ型蒸気ドームにしていたからね。それに、機銃掃射のシーンじゃあ、アメリカから実機のP-51まで呼んだんだからねえ。それはともかく、本題に入ると、今回僕らが着ている作業服は、昭和20年代後半から40年代まで、蒸気機関車が現役で走っていたころの、機関士・機関助士が着用したデザインです。「昭和20年8月15日、敗戦の日も鉄道は動いていた 〜五稜郭機関区、青函連絡船入換仕業〜」のものと、生地の色と質がよくなっているほかは、変化ありません。また、桜木町電車火災、三河島事故などの事故現場では、誰が何の職か識別できず混乱したので、機関士、機関助士を区別させるため、左腕に「機関士」などの腕章を巻きます。「あゝ上野駅」で紹介した、4つボタン開襟式の場合も同じです。
重垣:このイラストのように、昭和30年代後半から始まった、動力近代化で消えていく蒸気機関車を追って、各地の現役蒸気機関車を撮って歩いた、往年の鉄道少年も、いい年ですからね。
高村:鉄道写真ってのは、考え物でね。そのとき興味のない車両は撮らなかったから、ディーゼル化されてから走った、DD-51、DD-53の悪口を言っていたところ、半年や次の年には、電化されたり、気動車列車、電車列車になってしまって、今ごろになって「撮っておけばよかった」と頭を抱えている人もいるし、電車・気動車化以降は、国鉄労働運動華やかなりしころだっただろう。「団結 動労○○機関区支部」と書かれていることが多かったから、「団結号」と呼んでいた、国労、動労のビラを貼ったり、スローガンを書きなぐった車両は嫌がって、撮っている人がいないから、「団結号」の写真は、国労、動労関係者が持っている以外は、報道写真でしか残っていないんだよ。
宗村:それに、JRになってから車両整備を受けたあとで再塗装された、更新色と呼ばれる塗装になった車両は「絵にならない」、国鉄型車両のように耐用年数を長くとらず、旧式化しても他の線区には回さない設計のE231系などは、「使い捨ての『走るんです』だ」とバカにして、撮影していません。国鉄生き残りの更新色はともかく、JRになって再び自作を始めたE231系なども、「団結号」と同じく、報道写真でしか残らないのでしょうか…。
重垣:「興味がないから撮らない」では、後世には伝わらない…。わたしも芸術家のはしくれ。考えさせられる内容です。さて、そろそろ時間ですね。締めのセリフ、いきますか。
高村:このイラストは、管理人がOMC
を通じ、クリエータのVIPERさんに描いていただいた作品です。無断転載、無断リンクは禁止します。
宗村:著作権法には、十分留意しましょう。