乗務交替
〜昭和20年8月15日、八王子車掌区〜

重垣:現在では、JR、私鉄で、女性の運転士や車掌、一般の駅員などが増えてきて、実際にホームに立ったり、列車を動かしています。それに関係してか、フィギュアまで出ています。今回はその祖母の世代にあたる、昭和18年から23年まで、車掌、機関助士などとして勤務した、女子現業従事員の姿を、VIPERさんに描いていただきました。
湯浅:平成18年度は、鳴海・宗村ペアによる男子機関士、女子機関助士の姿を描いていただきましたが、今回は、女子車掌と当務助役です。
渋川:何回かこのコーナーで触れたとおり、昭和18(1943)年10月、厚生省令で、新しく男子職員を採用できない職業が発表、その中には、出改札や車掌など、駅の業務のほとんどが入っていました。それまでも女子職員は存在しましたが、事務系職種や軽作業でした。が、ついに従来男性の職場と考えられていた、保線の工員や工場の技工、機関助士といった肉体労働や、操車場の連結手など命の危険を伴う部門にも、女子職員を配属することになったわけです。
渋川:保線区に配属された者は、平時、男子職員ですら一日働けば翌日は休みになった、10キロある専用の保線工具のビータを使っての、路盤つき固め作業にも従事しましたし、工場ではなれない手で戦時生産簡易型のD-52やモハ63系を生産しました。操車場などでは、下手をすると列車にはさまれて死ぬ可能性がある、列車の連結、解結をおこなう連結掛として男子職員とともに、立派に任務につきました。
湯浅:熟練職員の出向、応召による欠員と作業能率の低下を、事務系職種にいた者の配置転換、女子職員や旧制高等小学校卒の年少職員の採用、定年退職者の職場復帰、そして動員学徒、女子挺身隊の量で補うしかない時期です。それについては各種の戦時中の鉄道を取り扱った書籍があるので、そちらも参考になさってください。
重垣:で、今回は、どういうシチュエーションなんでしょう。
渋川:乗務前か乗務後の車掌が、当務助役に対し、出発または乗務完了の報告をしている姿です。「鉄道むすめ」でも車掌が出てきますが、今のコンピューター制御でほとんど人のすることがないうえ、国鉄型車両に比べて絵にならないので、マニアの間では「走るんです」と陰口を叩かれているE-231系のような便利な機能がついたものではなく、昭和40年代に、「新性能電車」の101系、103系が首都圏などの国電線区を走り出すと、電化された閑散線区に追いやられた「旧型国電」です。それも、モハ40系といった戦前に作られたものならともかく、戦時生産簡易設計、ようは粗製乱造で、各地で発火事故を起こし、ついには昭和25年、横浜市桜木町駅で多数の死傷者を出す、「桜木町電車火災事故」に至るモハ63系にも乗務します。むろん、209系以前の車両は人の手でやらなければならないことが多いうえ、熟練整備工や検修員も応召で少なくなり、事前に故障が発見できず、交換部品も不足、粗悪化して走行中に故障も頻発、電車運転士、電車運転助士と応急修理にもあたりましたし、貨物列車と軍用列車優先で発券制限もあり、ぎゅうぎゅうづめにされたうえ、ダイヤどおりに運行しないので、殺気立った乗客との対応もしなければならない時期です。それに、軍事機密に触れる地点では、夏でも窓を閉め、日おおいをかけるよう言って回らなければならなかったころでもあります。
湯浅:さらに、列車が機銃掃射の目標にされると、敵機が追えない切通しやトンネルに逃げ込めない場合は、その場に緊急停車し、電車運転士、運転助士とともに乗客の避難誘導にあたり、敵機が去れば死傷者を応急救護し、近くにある保線用の鉄道電話で運行指令に連絡を取るとともに、放心状態の乗客を叱咤激励して列車に戻し、次の駅、次の車掌区まで乗務を続けなければなりませんでした。
渋川:こう書いてくると、マイナス面ばかりが目立ちますが、宝塚歌劇団を有する阪急では、宝塚歌劇団の団員、近くに松竹歌劇団がある帝都高速度交通営団、営団線では松竹歌劇団の団員が、動員学徒、女子挺身隊の形で乗務しています。制服姿の美しさは、同年代の女性でさえ「男役を見るようでかっこよかった」と回想するぐらいです。
重垣:男役をやっていた人だったら、絵になったでしょうね。
渋川:でしょうね。女子車掌役の候補は犬飼高美、守谷ジュン、首塚晴美などもあがったのですが、あたしが最適だというので、演じることになりました。それに、宗村・鳴海ペアが扮した男子機関士と女子機関助士と同じく、男子電車運転士と女子車掌も、同じ日に同じ車両に乗務するので、恋心が芽生えます「あの人の動かす列車に乗務している日なら、機銃掃射で死んでもあきらめがつく」、「どうせ死ぬならあの人の列車で…」と、敗戦後、世の中が落ち着いてから結婚、寿退職…というケースも、多数ありました。
湯浅:寿退職ならともかく、それまで戦地にいた鉄道員が復帰してきた以外に、台湾総督府、朝鮮総督府、華北交通、満鉄といった外地鉄道からの引揚者も国鉄私鉄は受け入れなければならず、人員整理で真っ先に解雇されたのが、定年退職者の再雇用組はともかくも、女子職員と未成年職員でしたからね…。
渋川:女子車掌は、一部の希望者が、復活した特急の客室乗務員に転属した以外は、鉄道管理局などの事務職員に転属していきました。昭和40年代に客室乗務員も廃止となると、接客職種からは、国鉄バスのバスガイドとみどりの窓口の職員以外女子職員の姿は消えました。JRになって、沿線にディズニーランドがある、京葉線に女性車掌が復活するまではね。いまの制服は、なんだか好きになれないな。民営化直後の、国鉄の制服を少し手直ししただけだった時期には、男性の制服と合わせがちがうだけだったから、男装しているようで、個人的には好きだな。
湯浅:「鉄道むすめ」を手にするときには、その祖母にあたる世代の、国鉄、私鉄の女子車掌が、時に自らの命を危険にさらし、時に自らの生活を擲ち、戦時運輸任務の遂行にあたり、「鉄道は日本の復興の象徴」、戦後復興のまさに牽引役として列車を動かした、激動の昭和のあの日々を、思い起こしてほしいところです。それに、「鉄道むすめ」は現在の広島電鉄も製品化しているのですから、被爆3日目には運行を再開し、「75年間は草木も生えない」と言われた原子野にモーターの音と汽笛を響かせ、広島市民に復興の勇気を与えた、広電の女子運転士も、8時15分にトンネルに入って原爆に遭わなかった「運命の列車」の乗務した国鉄の女子車掌とともに、再現してほしいところです。
重垣:いろいろ、考えさせられるお話でした。(時計を見て)さて、そろそろ時間ですね。いつものセリフに移りましょう。
湯浅:このイラストは、管理人がオーダーメイド・コムを通じ、クリエータのVIPERさんに描いていただいた作品です。無断転載、無断引用は、お断りします。
渋川:著作権法違反で「逮捕されちゃうぞ」に、ならないように。