あの日の記憶、昭和20年の交差点
〜進駐軍MPと交通巡査〜



重垣:忘れてはならない昭和の記憶。昭和20年10月、敗戦という衝撃で全国民が虚脱状態の最中にいたあの日。交差点で交通整理にあたる進駐軍の日系二世MPと日本の交通巡査の姿を、VIPERさんに描いていただきました。
内藤:このシチュエーションは、高村が「あの日の記憶」シリーズの「昭和12年の交差点」で予告しています。日本が敗戦という国難の中にあった昭和20年10月。主要交差点には連合国軍のMPが立ち、交通整理にあたっていました。
園田:アメリカが主体でしたが、地理的に近いオーストラリア、ニュージーランドといったかつての白人植民地や、インド、ネパールのグルカ兵といった、英連邦の諸国もやってきています。よって、地域によっては、「MP」の文字の入った白いヘルメットにオリーブドラブの軍服のアメリカ軍ではなく、同じオリーブドラブの軍服でも、制帽を被ったイギリス軍MPの場合もあります。どちらにしろ、リアルタイムで見た人は、相当の年でしょう…。
重垣:60年以上前ですからね…。
内藤:というわけで、今回の「終戦記念日特集」は、身長、体格ともに外国人並みの自分が、日系二世のMPに扮しています。
園田:当時の日本人としては体格のよいほうに入る僕は、日本の交通巡査に扮しています。
重垣:いつだったか高村さんが、第二次大戦で主力になって戦った世代は、育ち盛りの時期が大恐慌に重なって、身長・体格はあまりよくないと言っていましたが…、やはり、こうしてみると、差がありますね。
園田:そこへ来て、服装がちがうでしょう。これで日本の警察官の制服が、戦時中の酷使で色あせ、つぎはぎだらけのうえスフ混紡でなければ、まだなんとか絵になるでしょうが…。もっとも、今回の僕のように、呉鎮守府のあった広島、横須賀鎮守府のあった神奈川のように、海軍の第1種軍装やその生地で新品を支給しているところもありますがね。
内藤:MPの姿を見て、儀仗兵か近衛兵かと思ったという人もいるぐらいですから。皆さんもご存知でしょうが、アメリカとイギリスは一足早く、兵営にいるときに着る、背広式襟4つボタンでネクタイを締める執務服と、野戦で着る野戦服という区分を第2次大戦から始めています。ですからGIは、古くは『コンバット』、最近では『プライベート・ライアン』や『硫黄島からの手紙』などで出てきたM1941野戦服やオリーブドラブの作業服姿、または「アイク・ジャケット」と呼ばれた、現在の隠しボタン作業服風の短上着にズボンでラフな姿ですが、軍の権威を示す憲兵は、制服姿で、勤務中というのもありましたが、毅然としていました。
園田:話がややそれましたね。本題に戻しましょう。昭和20年の10月になると、主要交差点にMPが立ち、本来なら日本の警察官がやる交通整理を行うようになりました。日本の交通巡査は、それまで応召者の欠員補充のため、交番勤務など外勤の応援に回っていた交通課勤務者が、復員や外地引揚の元職警察官の採用で定員が確保できたので本来の所属に戻ってきたものの、敗戦国の悲しさで、交通整理の権限はMPに握られたため、横断する歩行者の指導程度しかできなくなりました。
内藤:これは日本やドイツの野戦憲兵もですが、戦地で進撃してくる部隊のため、交通整理や道案内を行うことも、憲兵の任務の一つです。ですから敗戦直後の昭和20年から22年ぐらいまでは、MPが立っていた交差点が多数あります。
園田:服装に加え、体格も違うのですから「これなら日本が負けて当然だ…。」と思わされた人も、多かったでしょうね。この光景を見て。
内藤:もっともこれは、当時の姿ではなく、ロケハンですがね。
重垣:ロケハンとはいえ、『一億人の昭和史』といった、当時の記録写真がそのままカラーになって抜け出したような姿ですよ。本当に。(時計を見て)さて、そろそろ時間です。締めのセリフに移りましょう。このイラストは、管理人がオーダーメイド・コムを通じ、クリエータのVIPERさんに描いていただいたイラストです。無断転載、無断引用は、禁止します。
内藤:著作権には十分、留意しましょう。