歴代警察官制服解説 戦後編
〜他人の空似と紅一点〜

重垣:「白昼夢」シリーズの作中作、「ブルーユニッツ対侵入者」の挿絵として発注した同名作品ですが、制服描写のレベルが高いので、制服解説コーナーも設けました。
高村:配列、着装は漆原さん、TERIOSさんと同じだけど、今回は全員巡査部長で、昭和51年式婦人警察官制服の鳴海さんが加わっています。
重垣:よって、タイトルも「他人の空似と紅一点」としました。では、「昭和の男」、昭和27年式制服の守村さんからお願いします。
守村:自分の着ている制服は、昭和27年制定のものです。四つボタンで宗村の着ている昭和43年式にデザインは似ていますが、胸ポケットが大きく作ってあり、襟の形と腰の飾りフラップのデザインが違っています。今回自分は巡査部長なので、腕の階級章の山型が2本に増え、袖章も30ミリの黒線の下に5ミリの銀線が入ります。背面は、背広のように中央に割目の来るセンターベンツになっており、両肩には、運転士用のドライバーズ・ジャケットのようにボックスプリーツが入っています。ズボンも、時計ポケットがある以外は民間のものと同じデザインで、左尻にもポケットがあります。
重垣:続いて、昭和32年式制服の高村さん。
高村:何回か言っているけど、昭和32年式は背広式三つボタンにモデルチェンジしていて、襟のデザインもボタンが減った関係で、より背広に近い形になっている。階級章の装着位置を巡査・巡査部長と警部補で統一、98式軍服のような形にしたんだ。巡査部長は銀色台地に旭日章2つ。地の色が赤だったら一等兵だよ。「官報」では上着には腰ポケットをつけることになっているけど、実物を見た限りでは、帯革を装備するので使えないから、飾りフラップにしている。それに、背面のセンターベンツはなぜか廃止されている。警棒を吊る関係で使わないことが多いから、左尻ポケットは廃止されているんだ。これは昭和43年式も同じ。当初は巡査・巡査部長と警部補・警部の階級章のデザインが似ていたから、識別が難しいと不評でね、昭和38年に警部補・警部の階級章が変わっているんだ。デザインは昭和43年式の巡査、巡査長と同じで、警部補は銀色台地に金線一本、黒の縁取りで旭日章一つ、警部は旭日章二つなんだ。それまでは金色台地に2ミリの金線一本、その上に旭日章だからね。遠くから見たら、区別できないよ。
重垣:昭和32年式階級章の巡査は旭日章一つですから、二等兵になってしまいますね。
宗村:ですので、昭和43年にモデルチェンジが行われるわけです。今回僕が着ているのは、胸ポケットを小さくして、警察手帳が入る程度にした、昭和51年のマイナーチェンジタイプです。昭和42年に巡査長制度ができたのと、制服のデザインの良し悪しは警察官、特に第一線で活動する、10代後半から20代が多い、巡査、巡査長、巡査部長の士気に影響するので行われたモデルチェンジです。四つボタンに戻ってはいますが、襟のデザインは背広に近く、作業服的色彩をなくすため肩のボックスプリーツを廃止した変わり、センターベンツを復活させています。階級章も、巡査、巡査長、巡査部長から銀色台地に黒縁取りの金線が入り、巡査部長は旭日章3つです。袖章も細くなり、巡査部長は15ミリの黒線の下に6ミリの銀線になっています。また、腰の飾りフラップも、胸ポケットと同じデザインになっています。
重垣:巡査長制度ができたのは、警察官の職務に追われて、巡査部長試験を受けられず、巡査で終わってしまう古参巡査の待遇改善と、士気の向上、さらには班長、分隊長などに任命するためでしたね。
宗村:ええ、そうです。巡査長制度ができた当初は、古参巡査と巡査部長の試験に合格したものの、定員の関係で昇進できない者との半々でしたから。それに制服のモデルチェンジが行われた昭和40年代は、人材不足が深刻化し、それまで各都道府県警本部がばらばらの日に、別々の会場で行っていた出張採用試験を、各警察管区ごとに一本化し、合格すれば本人の希望する都道府県の警察官になれるようにした時代です。
重垣:最後は、紅一点の鳴海さんの昭和51年式婦人警察官制服です。
鳴海:昭和51年式婦人警察官制服は、このコーナーで何回も紹介しているので、補足程度にしておくと、袖章、階級章は男性と同じです。ポケットに蓋はできませんが、警察手帳を入れたとき、落とさないようマジックテープ、ジッパーなどで止められるようにしてあります。スカートのポケットは常に上着を着る関係か、OL服や現行制服とは違い、右前腰に一つしかありませんし、リアベンツも入っていません。中央のボックスプリーツのおかげで、原作版『逮捕しちゃうぞ』のような派手なアクションを演じても、「パンチラ」にはならないようになっているというこぼれ話もあります。
重垣:今まで何回となく四種類の制服は、このコーナーで解説してきましたが、今回初耳のことがらも出ましたね。ところで高村さん、昭和38年のマイナーチェンジ版の警部補、警部の階級章は、昭和43年式の巡査・巡査長でも代用は利くんですか?
高村:昭和43年式の巡査、巡査部長の階級章とは大きさが微妙に違っていて、38年式は一回り小さいから、婦人警察官用の巡査、巡査長の階級章で代用が利くんだ。
守村:昭和32年式夏服の場合、昭和51年式婦人警察官の階級章をつけると、昭和38年以降の警部補、警部に扮することができるんじゃ。昭和32年式夏服は、夏帽子の帯や袖章での階級識別をやらないからのう。昭和27年式のときは、夏帽がなく、真夏でもウール製の冬帽に日覆をつけて被っていたんじゃ。
鳴海:昭和51年式婦人警察官制服までは、都道府県ごとに着装のバリエーションが見られた時代だというのは何回か触れています。警察手帳を入れるポケットも、左胸ポケット、左腰ポケット、右腰ポケット…と、都道府県ごとに違っているんです。それに、ポケットの口の閉じ方も、ジッパー、ホック、マジックテープと、制服が製作された年度にもよって、変化します。
宗村:ちなみに男性は、詰襟制服の時代からずっと左胸ポケットです。
重垣:いやあ…、前回、前々回とスルーしたこともわかって、コーナーを設けた甲斐がありました。
守村:それで思い出したが、テラネッツが『地球SOS』をネットゲームにした。ストーリーが進んでくるうちに、戦災孤児という設定のキャラクターを見かけるが、あれはいかがなものかと思うんだがのう…。設定を作ったプレイヤーは、深く考えてはおらんのじゃろうけど。
高村:原作が描かれた昭和23年から26年だと、戦災孤児は読者と同年代か、それより少し上の世代だからね。名前と設定の一部を使わせてもらっているだけとはいえ、原作版が描かれた時期について、考えてほしいもんだよ。
鳴海:集団疎開先から帰ってきたところ、一面の焼け野原で両親と連絡がつかない。生死も不明。親類もどこにいるかわからない。やむなく地下道や公園で夜を明かし、近くの闇市で心ならずも悪事に加担したりもする、本物の戦災孤児がいた時代です。その対応のため、定員が苦しい自治体警察時代も警視庁は、巡査として婦人警察官を第一線勤務に出しています。いつだったか、高美先輩が、初代婦人警察官の一人が、収容施設に入るまでも悪の道に進まず、外国航路の船員か潜水士になるという夢を持っている戦災孤児と姉と弟のつきあいをしたと言っていましたが、まさにその時期です。
宗村:戦災孤児にならないまでも、父親を戦争で亡くしたり、復員してきても働けない体になっていて、「ねえ、おじさん、磨かせておくれよ。ほら、まだこれっぽっちさ。てんでしけてんだ。えっ、お父さん?死んじゃった。お母さん、病気なんだ。」というセリフの入る、宮城まり子さんの「ガード下の靴みがき」に出てくる靴みがきの少年のように、家計を支えるべく働かなければならなかった少年少女が多数いた時代でもあります。
鳴海:その時代に少年少女を過ごした人たちがもう一回勉強したい、新聞雑誌が読めるようになりたい。文字が読めないから行き先までの切符が買えない、乗換駅が判らないから鉄道やバスを利用できない。一人で切符を買って電車に乗りたいと、数少なくなった夜間中学のある学校を探し、入学しているのもまた事実です。
宗村:東京見物のおのぼりさんや、出稼ぎ人とは思えない人なのに、「○○駅にはどう行ったらいいんですか。どこでどう乗り換えたらいいのですか。」としつこく聞いてくる人は、字の読み書きができなかったのではないか…と、旧型国電が現役で、窓口で切符を販売していた時代から勤務していた先輩から聞いたことがあります。何番目の駅で降りて何番ホームへ行き、そこで乗り換えて…と、駅員や近くの人に尋ねながら、覚えるしかないですから。
守村:戦災孤児よりもう一回り大きい世代だと、人間魚雷回天、人間ミサイル桜花、船首に爆薬を仕込んだベニヤ板製のモーターボートで上陸用舟艇に体当たりせよと命じられた震洋はもちろん、戦闘機・艦上攻撃機・爆撃機どころか、「赤とんぼ」の93式初等練習機や連絡機白菊、つづまるところ飛べる飛行機ならなんでも爆弾を装備させ、鹿屋・知覧に代表される航空隊基地から続々出撃した航空特攻でも、出撃の機会がなかったり、訓練途上で敗戦となって生き残り、「特攻隊崩れ」、「予科練崩れ」と世間に白眼視された人々になるのう…。「街のサンドイッチマン」を歌った鶴田浩二さんがその一人なのは、有名すぎる話じゃ。
鳴海:わたしのいた大学では、予科練出身で、戦後一時期すさんだ生活を送ったものの、一念発起して家庭裁判所調査官になった人がいました。調査官を定年で退職して、うちの大学の心理学の教授になったわけです。最後の年にちょっとだけ、授業を取れましたけどね。
守村:鶴田浩二さんが「ザ・ガードマン」で演じた役を、地で行くようなお人じゃのう。守衛と家庭裁判所調査官という違いこそあれ。わしも、会って話を聞きたかったもんじゃ。
宗村:タイアップ企画のシナリオに対して口を挟む気はありませんが、原作版が描かれたころの日本の状況について、関心を持つきっかけになればいいなと思っています。原作者の小松崎先生は、この時期、戦争前に活躍する連合艦隊の艦船や航空機、陸軍の戦車部隊などを当時の少年向け雑誌に描いていたことから、周囲から「戦争協力者ではないか」と言われ、自分でも、雑誌に描いた絵を見た少年が、特攻要員養成所と化していた、陸海軍の各種少年兵に応募するきっかけを作り、死に追いやってしまったのではないかと悩んでいた時期です。それに、敗戦により価値観はひっくり返り、世間一般が荒廃していた時期です。どのような思いで原作のペンを進めていたか、考えてほしいですね。
高村:原作が描かれた背景や作者の真意を知らず、タイアップ企画しか発注窓を開かないクリエータに描いてもらった、ガイナックスやサンライズの版権に抵触するすれすれの線のデザインのマシンに乗って、原作者の真意を知らないシナリオライターが書いたシナリオで、異星人バグアとやらを撃退する、単なるSFネットRPGゲームとしてプレイするのもひとつの選択肢だがね。
重垣:出るかと思っていたんですよね、この手の話題。前々回もそうだったから…。
高村:(重垣の表情を見て、さりげなく)近現代日本史を専攻したのと、戦中戦後の混乱期を生きた先人とのつきあいが深いから、こういう話題になると熱くなってしまうのは、俺らの悪い癖だね。(しばしの場)それはともかく、ブリキのおもちゃがオークションに出るとき、これが書かれていると高い値段がつくときもある、「オキュパイド・ジャパン:占領下の日本」の時期だからね。
鳴海:その手の品は、高村君の勤め先や高美先輩の家の物置から、出てきそうよね。
高村:俺の勤め先は模型問屋だからなあ…、知りあいの模型問屋、玩具問屋が持っているかもしれないな(しばしの間)。そうそう、このあいだ、首塚さんにヨーロッパ風全身鎧を作った高村鈑金の先代、先々代は、連合軍の駐屯地からブリキの空き缶集めて作ったこともあるって言っていたんだ。高村鈑金の物置を探せば出てくるんじゃあないかな。程度のいい未出荷品が。
重垣:話が思わぬ方向にそれて行って、一時はどうなるかと思いましたが、いつもの締めに入れそうですね。
鳴海:重垣さん。いつものセリフ、お願いね。
重垣:このイラストは、管理人がオーダーメイド・コムを経由し、飛鳥れいむさんに描いていただいた作品です。無断転載、無断転用は、禁止します。