八月十五日、その日も鉄道は、動いていた

8月15日、その日も鉄道は、動いていた



重垣:皆さんお元気ですか、美術館の重垣です。さて、今回は「8月15日、その日も鉄道は、動いていた」というタイトルで、『白昼夢』シリーズでたびたび出ている浅田乙松助役を、土門圭麻さんに描いていただきました。
(浅田、詰襟制服で登場)
浅田:ども、十日市場駅嘱託駅長の、浅田乙松です。
重垣:(渋い人だな…)お初にお目にかかります。学芸員の重垣です。ところで浅田駅長、この制服は…?
浅田:ああ、これですか(制服を指さして)『白昼夢』シリーズで宗村高光がときおり着ている、鉄道省、運輸通信省鉄道総局時代、昭和9年制定の制服です。判任駅長ということで、襟と袖には判任官の記章がついています。もっともターミナル駅や重要地区以外の現場長は、判任官ですがね。
重垣:暑くないですか…?夏でも長袖で…。
浅田:なぁに、真夏でも火を使う、蒸気機関車の機関士・機関助士はセ氏60度、70度の世界にいるんですから、まだましですよ。
重垣:確かに蒸気機関車が走る姿は絵になりますが、動かすほうの苦労は並大抵ではありませんからね…。さて、絵の雰囲気ですが、入道雲に緑の里山、木製の駅名表示板に石積みのプラットホーム…。同名の映画にもなった、井上陽水さんの「少年時代」か、『鉄道員ぽっぽや』の中で挿入曲として使われた「ぽっぽや」をBGMに使えそうな感じですね。
浅田:まさにその世界ですから、ロケハンの候補地になったらしいです。いまだに国鉄朱色の気動車が走る、タブレット閉塞、腕木信号の線区です。
重垣:なるほど…。ところでタイトルにもなった「8月15日、その日も鉄道は、動いていた」は…。
浅田:昭和20年8月15日正午、終戦の詔勅が流れる中でも、全国民が虚脱状態になったあの時も、ダイヤどおり国鉄は運行を続けていました。それを表したものです。
重垣:引揚者や復員軍人が、汽笛を鳴らし、ダイヤどおり運行を続ける蒸気機関車や青函・宇高の連絡船の姿を見て、「日本は立ち直る」と涙したと聞きましたが…。あながち誇張ではないんですね。
浅田:鉄道は、復興の象徴的存在でしたから…。わたしもあの日、なにごともなかったかのように走りつづける9600型と8620型、それに、鉄路を守る人々の姿を見て、鉄道員ポッポヤになったんです。その心意気は、時は流れ、蒸気機関車は電車・気動車、電気機関車・ディーゼル機関車になり、国鉄は民間企業になったいまでも、受け継がれていると…。
重垣:なんだか…、涙が出てきてしまいました。
浅田:定年でやめたあと、JR系の子会社に社長としていける話もありましたが、あえて思い出の地でもある、故郷の駅の嘱託駅長になりました…。正直な話、上野駅で長くホームに立っていたわたしは、同時代で見てきた電車の形式や寝台列車、特急の愛称は今でもすぐ出ますが、ポケモンだヒカリアンだなんて、覚えられませんや。
重垣
:ということは、就職列車や修学旅行列車、ヨンサン・トオや「上野駅パニック」、「スト権奪回スト」、遵法闘争…も同時代で経験したと?
浅田:はい。18番線で「金の玉子」を迎えた側としては、井沢八郎さんの「あゝ上野駅」を聞くと、感慨無量です…。
重垣:上野駅の話はつきませんが、絵に戻りましょうか。十日市場線はどういう線区なんですか?
浅田:十日市場駅はまだ気動車列車が走る未電化区間ですから、蒸気機関車が走っていたころのたたずまいを残しています。ホウロウ製、青地に白い文字で、縦書きの「とおかいちば」の駅名表示板、木でできた出改札口、手動の印字機……近くに来たら寄ってみてください。接続する線区も、まだ国鉄色の111系が現役ですから。
重垣:レイヤーズの皆さんの、ロケハンにも使えそうですね。
浅田:ははは、ときおりそういう人たちも来ますよ。大歓迎ですけれどね。さて、そろそろ下りが来るので…(浅田退場)
重垣:はい、貴重な話をありがとうございます。さて、この絵は 無かったら作ればいい、オーダーメイドCOMOMCを経由し、土門圭麻さんに描いていただきました。よって、個人で楽しむ範囲以上の二次利用はお断りいたします。また、十日市場駅は実在しますが、この作品とはまったく関係ないことも、申し添えます。