あの日の記憶 昭和44年の交差点
高村宗光巡査

重垣:「あの日の記憶」シリーズ、手信号で交通整理ができた最後の時期の昭和40年代になります。
高村:昭和21年でも出演した、高村です。今回は重垣さんが言われた通り、スバル360に始まったモータリーゼーションで交通量が爆発的に増え、手信号での交通整理が不可能になりつつある昭和30年代後半から、自動信号に切り替わる40年代前半にかけて、街頭で交通整理にあたる交通係と交通巡視員の基本装備です。また、乗車服ができるまでは、白バイ隊の隊員もこの姿で、バイクに乗っていました。
重垣:このへんになると、わたしも見た覚えがありますよ。夏実さんのズボン姿や、鍵山さんのスカート姿の婦警さんも。
高村:婦人警察官の場合は、「よい子の交通安全教室」といったシチュエーションでしょう。街頭での交通整理は行いませんから。自分の場合は、昭和32年の湯浅警部補殿が触れた通り、受傷事故を防ぐため、白いヘルメットを被り、目立つように白い帯革、脚絆を装備しています。このあとバイク乗車用ヘルメットが採用されると、自分が被っているような、ヘルメットメーカーではGI式と呼ばれるタイプから切り替わっていきますし、大気汚染がひどい場所では、防毒マスクをつけて勤務したところもあります。
重垣:あのころは、「列島改造論」の時期ですから。沿道をダンプトラックが、ディーゼルエンジンの黒煙をもうもうと吐き出しながら走っていました。風邪を引いて、ガーゼマスクをつけて国道脇を歩いた時には、煤煙で真っ黒けになりましたよ。それに、冬はスパイクタイヤの粉塵も混じって、雪が茶色になっていましたからね、本当に。
高村:重垣さんは新潟の方でしたね。ということは、サンパチ豪雪と新潟地震も経験されたんですね…。まさにあの時期ですか…(しばし考えて)。あのころは、アンチノック剤の四エチル鉛など、有害物質がそのまま排気ガスで出ていた時代です。昭和40年代に入ると、白金触媒の装備で改善されていきますがね。それに、ヘルメット、白帯革、白脚絆を装備するのは、交通整理中に受傷・殉職する警察官が頻出したこともあります。自分は技術屋になりそこなった男ですが、技術史の研究は、『プロジェクトX』式の、開発に携わった一部の人間の成功事例を持ち上げるものだけではなく、自動車の場合は「交通戦争」と呼ばれた、法規と道路の未整備、運転者のモラルの低さに起因して頻発した交通事故、光化学スモッグや「四日市喘息」に代表される、今現在も訴訟が続く、各地での排気ガス公害など、マイナス面にも目を向けなければならないと思わされました。
重垣:それに、高村さんの一族のような下請けの町工場や中小企業、宗村さんが「月光仮面のパトカー」で言った、「あゝ上野駅」に歌われた、集団就職の未熟練若年労働力や、ハナ肇とクレージーキャッツの映画で描かれた、大卒労働力の存在も、軽視できません。ところで、腰の革鞄は何が入っているんですか。
高村:ああ、これですか。昭和30年代後半から、軽微な交通違反を通告する、例の「青切符」などを入れる革鞄を装備している地方もありますので、それを再現しています。
重垣:背景にはスバル360やミゼットの後期型、キャロル、初代クラウン、トヨタ800、パブリカなど昭和30年代から40年代に生産された車が入っていても、おかしくありませんね。
高村:はい、そうなります。先ほど重垣さんが言われたとおり、父親や兄の車の窓から見た光景です。昭和後半に生を受けた自分ですが、「三丁目の夕日」や高度経済成長期の雰囲気を伝えられているなら、幸いです。
重垣:このイラストは、管理人がオーダーメイド・コムを経由し、クリエーターのらすかるさんに描いてもらった作品です。利用権は管理人、著作権はらすかるさん、総合的著作権はオーダーメイド・コムが所有します。
高村:よって、無断転載、無断リンクは禁止します。著作権法違反で逮捕されないように。