立番中の園田方也巡査

重垣:「激動の昭和彩った、あの日の姿、今ここに」をモットーにして活動する、コスプレ集団・レイヤーズ。今回は昭和43年式制服の警察官が交番前で立ち番をしている姿を、園田方也さんに再現していただきました。
園田:コスプレ集団・レイヤーズのメンバー、園田です。シチュエーションは重垣さんが言われたとおり、交番勤務の警察官の任務の一つ、交番の門前か、歩いて10歩以内の位置で立ち、地理教示や事件・事故の発生を知らせに来た人と対応し、不審人物や指名手配中の人物がいないか監視する、立番です。江戸東京たてもの園の保存建築物の一つ、万世橋交番でロケしました。
重垣:立番姿は、昭和21年制定の制服姿で高村さん、27年・32年制定の制服で宗村さんがやっていますから、続編になりますが、ところでなぜ、詰襟式でサーベルを吊る、昭和10年式や明治41年式制服にはしなかったんですか。白い詰襟上下の、昭和10年式盛夏服姿を見せてくれたじゃあないですか。
園田:確かに重垣さんの言うとおり、レンガ積みの交番ですから、詰襟佩刀装備の昭和10年式、明治41年式のほうがよいのではといってくる人はいます。詰襟式は守村さんのほうが絵になるので、守村さんにお任せします。ですが、この制服で万世橋交番の前で立番していても、おかしくはないんです。平成5年に移築されるまでは、警視庁万世橋警察署が管理していましたから。万世橋駅が廃止になり、岩本町に交番ができると、万世橋交番は、手信号時代は交通課巡査、受持区を常時誰かしらが警らする、ビート方式のときは警ら警察官の休憩所、それが廃止になると、イベントの時の警備連絡所程度にしか使われていませんでしたがね。
重垣:あの、交通博物館があった、秋葉原駅前の万世橋警察署の管内だったんですか?
園田:ええ。警察署の統廃合や新設で、万世橋交番の所轄署は何回か変わりましたが、最後は万世橋警察署になっています。青果市場の跡地が再開発されてビルが建ち、つくばエキスプレスが開通して、初めて駅前交番ができましたが、それまで万世橋警察署地域課直轄でしたからね、秋葉原駅前は。それに、空き交番状態でしたが、万世橋交番が移築されるまでは、電気街が電気街らしかった時期です。今はダイビルと神田消防署になっているところは、大田市場神田分場でした。
重垣:神田が手狭になったのと物流の変化で、機能の大部分が大田に移転したあとも、一部の業者は残っていたんでしたっけね。
園田:ええ。その名残で、同人街と化した電気街の中で、いまだに青果関係の商売を営んでいる人もいますし、本社機能だけは秋葉原に残したところもあります。
重垣:跡地が駐車場と公園になっていたときには、あそこに学校ができるなんてくだらない漫画がありましたね。
園田:あの漫画が出たころには、電気街は完全におかしくなって、「同人街」となっていました。
重垣:パソコンが、いちいちコマンドラインを入力せずに使えるようになり、マニアのいじるものと、業務用の事務機器ではなくなった、ウインドウズ95、98が出たころからでしょうかね、電気街がおかしくなり始めたのは。
園田:高村さんや守村さんが言いそうなセリフですが、「アキバ系」などと、変な連中のたまり場の代名詞的な使われ方をするようになってからの秋葉原、とくに電気街は、量販店と、部品一個から売ってくれる、素人も相手にする個人経営の問屋兼小売店の集まりだったころと変わってしまい、足を踏み入れたくなくなりました。ちょうど南は神田川と万世橋、東は昭和通り、西は神田明神、北は蔵前橋通りでさえぎられて、そこから先はおかしな店が出ず、昔からのたたずまいを残しているのが、せめてもの救いです。
重垣:神田・丸の内方面のビジネス街、浅草橋方面の江戸っ子気質を残した問屋街、戦災にも耐えた神保町の古書店街、御茶ノ水の学生街、闇市から発展した、力強い商売人の集まりであるアメヤ横丁の雰囲気が、メイド喫茶や同人書店を寄せつけないんでしょう。いつだったか話した上野駅と同じで、わたしの学生時代の記憶にある電気街と、今の電気街が変わってしまって、悲しいですよ、本当に。久しぶりに行ってみたら、そこにあった個人経営の店が、同人誌チェーン店に変わっているのはざらですからね…。貧乏学生とはいえ、家電製品が必要になった場合、街の電気屋より安いからと買いに行くこともありましたし、故障した場合は、同じアパートに住んでいる電気工学系の学生に「部品代は出すから」、「部品は用意するから」と頼んで、直してもらうこともざらでしたし…。それに、わたしは東京芸大出身ですから、前衛芸術の連中の素材集めにもつきあわされましたし。おおっと、話がそれてしまいましたね。
園田:いえいえ、それが、重垣さんの記憶にある「昭和のあの日」の秋葉原、電気街の思い出なんです。中央線の東京延伸で閑散駅となり、廃止となった万世橋駅。3月10日、4月13日、5月25日の3度の「東京大空襲」でも焼けず、戦後復興とオリンピックで変わる街並み。青果市場の大田への移転で、威勢のいい青果業者が大田へ移ると、家電量販店と個人経営の電気器具店の集まりになり、それが同人書店とフィギュアショップに入れ替わり、「オタクの街」などと呼ばれるようになった電気街……。物と人の行きかう秋葉原駅と国道17号を、万世橋と共に見てきた万世橋交番。そして、そこに勤務し、人々の哀歓を見てきた万世橋署警ら課の警察官…。今は交番は万世橋から切り離されてしまい、警察官も本物ではありませんが、皆さんの記憶に残る、交通博物館があったころ、電気街が電気街らしかったころの、「昭和のあの日」を思い出していただければ、幸いです。
重垣:園田さんは謙遜されて「本物ではありませんが」と言われますが、現役時代を思わせるような雰囲気で、絵になっています。さて、このイラストは、管理人がオーダーメイド・コムを経由し、クリエータの漆原貴之さんに描いていただいた作品です。無断転載、無断引用は、お断りいたします。