トラフィック戦隊・アンゼンジャー外伝
M.U.D対策室の制服
〜衣替え編〜
「交通秩序を乱すことで世界征服をもくろむ」史上最凶の走り屋、マッド・ハシリーヤ将軍率いるM.U.Dに対抗するべく、47都道府県と皇宮警察から選抜された警察官で結成したM.U.D対策室は、所属どころか時空を超えた出向者に、男装の麗人、女装の達人が室員にいる、多士済々の部署である。
数少ないM.U.D対策室専任の永井巡査が、室長の湯朝警部にお茶を出しながら、話しかける。
「M.U.D対策室は、装備している車両、拳銃がマニアックで、警察を舞台にした漫画やアニメ、テレビドラマに出てきそうだと言われていますね。」
これは事実。シリーズで触れているように、初代クラウンの警察仕様と白く塗った三菱ジープをレストアして使っているうえ、クルーは円筒形赤色回転灯、機械式サイレンに取替え、似たようなデザインのコンフォートも持っている。拳銃は日本で警察用として使われた形式全て揃う。そこへ来て室員は、サイボーグに時空を越えた出向者、メカフェチと女性とは思えない怪力で大食のコンビ……という顔ぶれで、時空を越えた出向者と男装の麗人は、特例として過去の制服で勤務している。さらにM.U.D出現時には、変身ヒロインを思わせる姿で戦う者もいる。
だから、M.U.D対策室は千葉県はもとより、全国、それも警察とは無縁の人にも名を知られている。「戦隊物や警察を舞台にした漫画・アニメに出てきそうなマニアックな部門が千葉にはあるぞ」と。
湯朝警部は、返す。
「俺らの相手が相手だってのもあるが、制服姿も理由の一つだからねえ…。」
今は5月。男女とも、紺色の肩章、右腕には千葉県警察の記章がつき、左右の蓋のできる胸ポケットは、作業シャツより心持ち小さいワイシャツ姿で紺色のネクタイを締めるが、5つボタンの詰襟服に肩章をつけ、サーベルを吊る昭和10年式制服の甲田、背広型上着に紺色ネクタイを締め、帯革に拳銃、手錠嚢、警棒を装備する、昭和後半に生を享けた世代があこがれた「おまわりさん」の着装、昭和21年式制服の佐々木、昭和27年式制服の曽根、昭和戦後型警察官制服の集大成、昭和43年式制服の渋川の4人は、目立つ。
甲田、佐々木、曽根と現行制服の高木、清水は交番、「男装の麗人」の渋川は自動車警ら隊で勤務しているが、交番勤務者が足りないときには、渋川も交番で、警ら、立番、地理教示などの外勤警察活動にあたる。
現行制服は、以下のような着装区分である。
11月1日〜4月30日…冬服
5月1日〜31日………合服
6月1日〜9月30日…盛夏服
10月1日〜31日……合服
冬服は、紺色三つボタン背広式の上着、同色のズボン。婦人警察官の場合は、紺色三つボタンの上着、同色のスカートかズボン。外勤活動が多い地域課、交通課は、ブルゾン型の活動服。制服姿は、本庁や警察署、免許センターなどの勤務者が着ていることが多い。
合服は、前述の通り、冬服の下に着ている、紺色の肩章、右腕には千葉県警察の記章がつき、左右に蓋ができる胸ポケットのワイシャツに、紺色のネクタイを締める。このワイシャツは、階級章、所属警察本部のエンブレムがついていて、冬服着用期間もこれを着ていなければならない。よって、冬服着用期間中でも、上着を脱いで勤務できるようになった。制帽は、デザインは同じだが、男性用はメッシュになる。ズボン、スカートのデザインは同じ。
盛夏服は、水色のワイシャツ型で、デザインは合服と同じだが、ネクタイをしなくてよい。ズボン、スカートのデザインと色は同じだが、薄手の生地になる。
ネクタイをしなくてよいのは、左右に胸ポケットのついたカーキ色のシャツと同じ色のズボン、制帽になった昭和21年式から続いている。よって、水色ワイシャツの盛夏服でネクタイを締めることはない。
活動服と女性のベストは、着用時期に区別がなく、合服のワイシャツだけではまだ寒い時期の朝夕に着用していることもある。また、平成13年から威圧効果を狙うのと、受傷事故防止のため、制服警察官も、タクシーの運転手や私服刑事が着るような、服の下に隠す方式の防刃衣から、現金輸送警備にあたる警備員や凶悪犯罪が起こったときに出動する機動隊が装備するような、防弾チョッキ風の見せる防刃衣を、制服の上から常時着用するようになって、合服、盛夏服の区別がしづらくなった。
時空を越えた出向者、甲田雅一郎の着る昭和10年式制服の着装区分は、以下の通りである。
10月1日〜5月31日…冬服
6月1日〜6月30日…夏服
7月1日〜8月31日…盛夏服
9月1日〜9月30日…夏服
左、冬服 中央、盛夏服 右、盛夏服戦時特例
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冬服は、濃紺か黒のラシャ。夏服の上着は紺色のサージで、ズボンは白の麻か綿。盛夏服は上下とも白。海軍軍人を思わせる姿で、白銀のサーベルと共に市街地での立番姿は絵になったが、白い服は汚れが目立ちやすい。明治8年の全国統一の警察官制服制定から夏服は白を使っていたが、警察官・消防官の共済組合の機関誌「警察協会雑誌」には、田園地帯の駐在巡査を中心に、「夏服が白だと汚れが目立ちやすく、仕事に支障がある」「洗濯したところ井戸水の鉄分で茶色く変色した」「村を一回警らしただけでズボンが汚れる。洗濯の手間がかかって困る」という声が寄せられており、灰色を採用した台湾総督府、カーキ色を採用した朝鮮総督府、関東庁のように、灰色かカーキにすべきだという意見が散見される。
よって、昭和戦前型制服の集大成、消防手・消防曹長にも統一服制を設けた昭和10年式では、警察官の夏服には紺色サージの上着を採用している。消防手・消防曹長は制服姿での出動も予想されるので、上下ともカーキ色である。だが、白色・カーキ生地で仕立てたものは略装なので、儀式の時には上下紺色にしなければならない。
日本の戦況が悪化してきた昭和18年には、警察署に常時待機することも予想されるので、7月・8月でも紺サージ夏服の着用が許可され、本土空襲の始まる翌19年には、白の盛夏服は全て紺色に染めるよう指示が出されている。洗濯の手間を省くためである。その理由として、昭和18年の時点で民需・官需用の洗濯石鹸の配給の見通しが立たず、白の布地を調達することも不可能という一文がある。日本の国力が限界に達していたことを示す史料である。
占領当局の指示で急遽デザインした昭和21年式制服を着る佐々木久雄と、繊維事情が戦前レベルに回復し、自治体警察警視庁では昭和25年、国家地方警察では昭和27年にモデルチェンジを行った曽根史郎の着る昭和27年式は、以下の通りになる。
11月1日〜4月30日…冬服
5月1日〜6月30日…合服
7月1日〜9月30日…盛夏服
10月1日〜10月31日…合服
左、昭和21年式冬服・夏服 中央、昭和27年式冬服、夏服 左、昭和21年式盛夏服
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合服は、冬服と同じ色とデザインだがラシャではなく、サージなどの薄手の生地を使うことができる。ズボンも同じ色・素材である。6月1日から30日までと、9月1日から30日までは、ネクタイを着用しなくてもよく、その場合は、ワイシャツの襟を上着の襟に重ね、表に出す。これは、民間の背広でも行われていた着こなしで、汗から上着を守るためである。
デザインは前に触れたとおりだが、ワイシャツは、物資不足の時期だけに、白の他、旧軍物資、連合軍放出物資の灰色、カーキ色も使えた。デザインについての指定はないので、現在も使われている、左胸に外づけのポケットが一つつく標準的なものや、飾り肩章、蓋のできる胸ポケットが左右につくものなど様々で、ネクタイの色も、紺色無地以外に、青、水色、緑も使えた。ネクタイとワイシャツの色が服制で定められるのは、昭和32年式からだが、デザインについては、平成6年まで触れていない。
盛夏服は、肩章がつき、左右に蓋のできる、作業シャツよりやや大きい胸ポケットのついたシャツ、同じ色のズボン姿。連合軍放出物資や旧軍物資の活用で、旧軍の防暑衣袴を使ったところもある。制帽は、カーキ色の日おおいを冬帽に被せている。
このころは補助帯革がなく、盛夏服でも負革を装備していた。昭和32年から盛夏服では負革をつけなくてもよいことになった。そのため、装具の重みを受け止める、ボタン止めの革製ループ、補助帯革が制定されている。これで帯革をズボンのベルトにつけ、装具の重みで帯革が下がるのを防ぐ。
「男装の麗人」渋川梓の着る、昭和戦後世代のあこがれた「おまわりさん」の昭和43年式制服も、基本は変化していない。
11月1日〜4月30日…冬服
5月1日〜6月30日…夏服
7月1日〜9月30日…盛夏服
10月1日〜10月31日…夏服
左、冬服 中央、夏服 右、盛夏服
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昭和43年式夏服のデザインは冬服と同じだが、生地は灰青色で、ボタンは銀色。袖章、帽子の帯の階級識別線は銀色で、太さも冬服とは変えている。
渋川は巡査長なので、巡査と同じく袖章は12ミリだ。昭和32年式夏服では、袖章をつけず、制帽も夏用を定めたものの、全階級同じデザインにしたため、遠くからでは階級の識別ができず、不便だったので、夏服、盛夏服の制帽の帯も、階級識別線を入れ、夏服には袖章をつけている。
盛夏服は、昭和32年式で灰色を使ったところ、色あせしやすいので、灰青色にしている。右胸ポケットの上に階級章をつけるのは同じだ。
当初、盛夏服は長袖シャツだけだったが、昭和51年に婦人警察官の全国統一服制ができたのをきっかけに、半袖盛夏ワイシャツとメッシュ式制帽も制式採用されている。中には、従来の長袖を半袖にしてよいという訓令を出したところ、署長以下全員が半袖に仕立て直したところもある。
また、サマースーツ型の盛夏服を着ている婦人警察官から、「生地に穴を開け、ピンを通し、ワッシャーで止める冬服・夏服用の階級章では、ピンが肌に当たって痛い」という声があがり、安全ピンで留める盛夏服用階級章ができている。
よって、5月と9月は、地域課兼務組の甲田は紺色上着に同じ色のズボン。素材は夏物の背広と同じだ。佐々木・曽根の夏服も、夏用背広と同じ素材で作り、ネクタイを着用する。渋川は灰青色の昭和43年式夏服。高木と清水はワイシャツ式の現行制服だ。
警務課の守屋姉妹、警察学校の守川、生活安全課の成見、交通課の辻本・小早川ペアと、M.U.D対策室専従の園田、永井、二階堂、双葉もワイシャツ姿だ。
盛夏服着用期間中は、全員長袖。白い詰襟上下の甲田、カーキ色の上下の佐々木・曽根。灰青色の上下の渋川。残りは水色ワイシャツに紺色ズボンかスカートだ。
変化がほとんどないのが、バイク乗りの犬養と首塚。乗車服の基本デザインは夏も冬も変わらない。しいて言うなら、冬には上下とも革製の防寒衣が加わる。
甲田、佐々木、曽根、渋川は、幕張メッセ交番より、幕張交番、幕張駅前交番のほうが絵になると言われている。幕張駅前交番は昔風の建物なので、制服姿と交番の隣に止まるパトカーも、幕張特機の初代クラウン、円筒形赤色回転灯でフェンダーミラーのコンフォート、クルーのほうが違和感がない。JRが国鉄型車両を当時の塗装に戻し、「リバイバル・トレイン」という名前の特別列車を出すように、M.U.D対策室兼務の地域課勤務者の着装は、「激動の昭和を彩った、あの日を再現したリバイバル制服」と説明している。
「制服通の間では、幕張メッセ交番より、昔風の建物の幕張交番、幕張駅前交番のほうがよい、婦人警察官もやってほしい、田舎の駐在所や、小規模警察署を統廃合して作った幹部交番でもやってほしいという声もあります。あたしも、昭和51年式制服、着てみたいな〜。」
永井巡査の報告を受け、湯朝警部は、返す。
「わしの巡査任官の年は、昭和32年式制服から昭和43年式制服への変換期だった。だから程度のいい状態で残っている。警部に袖章、階級章を直して、それで勤務しようか。今度から。」
「そうしたら、ますますM.U.D対策室はマニアがいるって言われますよ。」
M.U.D対策室専従の二階堂巡査が言うが、出向前に所属していた警視庁墨東警察署交通課も、M.U.D対策室並みの、なんでもありの部署。交通課兼務の、辻本夏実・小早川美幸と組ませ、「墨東署四人娘を復活させてほしい」という墨東署交通課長の依頼を受け、湯朝が警視庁からの出向希望要員として指名している。
墨東署出向組の一人、「女装の達人」双葉巡査長が締める。
「もともとM.U.D対策室自体が、一風変わった集団ですから。」
次の日から、湯朝警部は、昭和43年式に似ているが、三つボタンで階級章のデザインなど細部が違う、昭和32年式制服で勤務し始めた。
世界の交通秩序を乱し、世界征服を狙うM.U.Dに対抗する、M.U.D対策室は、一筋縄ではいかない人間集団である。