独立短編企画〜4月13日のできごと

独立短編企画
〜4月13日のできごと〜
本作品は事実に取材しているが、まったくのフィクションであることをお断りしておく。



昭和201945)年413日の、現在の東京都北区、豊島区などを焼いた第2回目の東京大空襲の直下、以下のようなできごとがあったと回想する人がいる…。

当時庚申塚交番勤務(巡査)、守村義衛氏の回想

多摩地域で警ら中の守村氏

413日。西巣鴨地区も、あっという間に火の海になってしまった。同僚の森川巡査とで戸口調査簿など重要書類を防空壕に避難させていると、避難民が交番近辺に集まってきた。
火は迫ってくるし、住民は「お巡りさん何とかしてくださいよ」という。近所には霊園と大学があり、どちらに住民を避難させるか迷ったとき、一台の白バイが走ってきた。
「伝令、住民を大正大学に避難させよ。」
「大正大へ…?」
聞き返す間もなく、白バイは走り去ってしまう。いちかばちか、あの白バイの言葉に従い、
「これから逃げ道を確保するが、だめだったらあきらめてください」
といって大正大学方面へ行ってみると、まだ焼けていない。だから、
「大正大学まで行けば助かる」
と森川巡査とで励まして歩いた。「助からないんだからここで死ぬ」と言い出した者がいたので、「逃げなければ斬る」と刀を抜いた一幕もあった。
あの白バイが来なければ、わたしも避難民ともども焼け死んでいただろう。

当時警防団員、食品サンプル店経営、高村健氏談話

警防団服姿の高村氏

310日の下町や526日の山の手もすごかったけど、俺らの住んでる巣鴨や池袋が焼けた413日もひどかったぜ。
あの時は、あっという間に
B公の落とした焼夷弾で一面火の海よ。俺は特別消防員っていうんで、消防官といっしょになって、刺し子の服着て、消防車に乗っかってあっちこっち火を消しに行ったけどよ、池袋も大塚も火の海で、どうにもこうにもならなくてね。さあどうしたもんか、ここで俺も焼死かと覚悟を決めたとき、白バイがやってきてね。「大正大学は焼けていないぞ」と言うからさ、ええい死んでもともとだと行ってみれば、助かった。あの火の中、どこの署の人かはわからねえけどさ、あの人のおかげで、俺らは助かったって訳よ。

当時巣鴨消防署勤務(消防曹長)、内藤武士氏寄稿

消防曹長任官の日の写真

自分は当時消防曹長(現在の消防士長相当)で、分隊を率いていた。分隊員は、機関担当の熱川進消防手、放水手の清水清司消防手、年少消防官(注
1)の園田方也消防手、近藤衛士消防手、特別消防員(注2)の高村健氏、学徒報国隊員(注3)の宮村市定君の7人である。(中略)
413日空襲では、初め池袋方面で消火活動にあたっていたが、大塚方面は火の海で、退路が絶たれる可能性も出てきたため、明治通りまで下がった。しかしそこから先が煙でどうしても行かれない。ハンドルを握る熱川消防手が、
「これ以上は行かれません!」
と叫ぶ。
車には、年少消防官の園田消防手や大学生の宮村君といった有為の青年もいる。このままではどちらにしろ焼け死ぬ。思わず諏訪大社のお札を握り締めたそのとき、白バイが走ってきた。
「この先は行かれるか!」
と聞くと、
「行かれる。大正大学には避難民が集まっているから、あそこを死守してくれ!」
と叫んで、走り去った。
「おい熱川、いちかばちかだ。止まっちまったら俺らは焼死だ。気をつけてやってくれ。」
と言って煙の中を突っ切ったところ、確かにまだ火をかぶっていない。すぐにほかの隊とともに消火活動にあたり、大正大学を死守した。(以下略)

1:年少消防官
昭和
181943)年8月から211946)年1月まで、戦時特例として原則20歳の成人以上だった消防手採用年齢を17歳にまで引き下げた時に採用された者を呼ぶ。
2:特別消防員
消防官の不足を補うため、警防団員、学徒報国団員から募った職員。待遇勤務は消防手に準じ、消防官とともに出動し、多数が殉職している。
3:学徒報国隊
学校ごとに学生で結成した組織。消防官の不足を補うため、消火訓練を受けた者は警防団出身の特別消防員、消防官とともに出動し、多数が殉職している。