白昼夢
社会人編
〜「月光仮面のパトカー」〜
ムネさんの勤務先の交通博物館に入ると、トヨペット・クラウン初代モデルのパトカー仕様が目に飛び込んできた。それもそのはず今回は歴代のパトカーとして使われた車両を展示する企画展「パトカーの変遷とその時代」を開いている。
米軍からの払い下げジープの、「白いジープのパトロール」から始まって、トヨペット・クラウンの「「月光仮面」のパトカー」、「「西部警察」のパトカー」、「「逮捕しちゃうぞ」のパトカー」……と、主だったテレビドラマや映画にも関連づけてあるが、作中で出る覆面パトカーは一切外してあり、あくまで同時代に実際に走っていた車種にしている。
「あっ、クラウンのパトカー仕様よ!」
あたしが言うと、高美先輩は返す。
「よくあったわねえ…。50年以上前の車でしょう。」
『逮捕しちゃうぞ』が雑誌連載されていたころ最新だったトゥディは、いまではどこの署でも使っていない。緊急車両は毎日のように動かすので、整備していても10年持てばよいほうだ。
「おや、悠子さんに先輩。」
後ろから聞きなれた声がしたのでのでふり向くと、ムネさんが、警察官制服姿で立っていた。
「警視庁管内は昭和25年式、国家地方警察では昭和27年式ね。」
高美先輩が言ったので、ムネさんは返す。
「実車で走っていたころの制服ということで、昭和27年式にしました。昭和43年式に似てはいますが、腰ポケットは飾りなので物は入れられません。映画の「若いお巡りさん」や「白いジープのパトロール」で出てくるタイプ…といえば、わかりやすいかもしれません。」
「凝り性の、ムネさんらしいわね。」
高美先輩が言ったので、ムネさんは続ける。
「ええ、拳銃も米軍から供与されたスミス・アンド・ウエッソンM1917のモデルガンです。」
ムネさんが着ている昭和27年式の全体的デザインは、昭和43年から平成6年まで使われた、「前制式」「旧制服」とも呼ばれるタイプに似ているが、腰ポケットは飾りで、肩章には警部補以上は金色、巡査部長、巡査は銀色の旭日章がつく。あたしが館内を見回すと、開襟4つボタンの昭和21年式から始まり、レイヤーズのコスプレ衣装にもある、マニアに人気の昭和51年式婦警制服や昭和43年式男性用制服姿、さらには現行制服まであるから、
「そういえば、館内の案内する人はみんな制服姿ね。」
と言うと、高美先輩が続ける。
「あ、ほんとだ。いいの〜、軽犯罪法に引っかかるわよ〜。」
ムネさんは返す。
「当時の制服姿の学芸員が解説するっての、一回やってみたいと思っていたところにパトカーの企画展をやるという話がきたので、だめでもともとで出した企画が通ったんですよ。軽犯罪法云々は、館外に出なければいいわけですから。」
「なるほどね〜。」
ふと目線を落とすと解説パネルがあったので、それを読みながら、あたしは言う。
「ところでムネさん、この解説パネル、結構おもしろいわね。」
マシン系の解説につきものの性能はごくあっさりと片づけてあり、エピソードが主体になっている。
トヨペット・クラウン 1955(昭和30)年パトカー仕様
「月光仮面」や「事件記者」など、往年の名作テレビドラマや映画に写るタイプ、はたまた白無垢の花嫁さんを乗せたタクシーとして覚えている人も多いのが、初代のクラウンです。ドアが観音開きなのは、需要が多かったタクシー、ハイヤーが、文金高島田の花嫁をそのまま乗せられるようにしたためです。
タクシーになったものは花嫁や花婿、あるいは丸の内の「モーレツ社員」や東京見物で出た一家を乗せ、パトカーになったものは、道に迷ったおのぼりさんを、また銀座や有楽町で飲んだくれた酔っ払いを、はたまた駅で保護した家出少年・少女、家族や故郷が恋しくて上野駅まで来てしまった、集団就職の「金の玉子」を乗せた車でもあります。
性能
排気量1453CC、48馬力、最高時速100キロ、定員6名
「なんで技術的部分は書いていないの…?これは日本で初めて乗用車として設計した車だし、独立懸架も取り入れている。技術史的に書くべきところが多いんじゃあないかしら…?」
高美先輩が言うと、ムネさんは、しばしの間ののち返す。
「…先輩が指摘した部分は、入れようか、外そうか、最後まで悩みました。メカに詳しい人たちは、物足りないと思うでしょう。ですが、僕は、技術史家でも、技術屋でもありません。それに、いままでの技術史は、一部の技術屋集団しか取り上げていません。ですがね、本田宗一郎がN360の生産ラインに立って部品組んでいますか。島秀雄が新幹線の道床を作っていますか。百瀬晋六がカタログ持って家々をセールスして歩いていますか……、してないでしょう。僕は、就職列車を迎えた、通勤路線の乗換駅でもある上野駅のホームで勤務しながら、ずっと考えていました。本来重んじられるべきなのは、生産ラインに立った人たち、セールスして歩いた営業の人たち、田舎の学校を回って歩いた人事の人たち…じゃあないかなって。井沢八郎さんが歌った「あゝ上野駅」に出てくる就職列車でやってきた人たちが、ハナ肇とクレージーキャッツの無責任シリーズで描かれたような、大学出た人たちが、生産ラインで組んで、図面引いて、経理で伝票処理して、金策に走って、営業で家々や会社を回って、はじめて技術屋集団の作ったものが売れるんじゃないか、作れるんじゃないかって……。今までの技術史に多かった、一部の人間だけを持ち上げるやり方には、反感がありました。だから、タクシーはモーレツ社員や銀座の飲んだくれ、「東京だよおっかさん」の東京見物の家族を乗せ、上野駅では家が、家族が恋しいと寮から抜け出した、「金の玉子」を保護したと、書いたんです。これを見た人たちが、ほんのちょっとでも、一部の技術屋集団ではなく、生産ラインで油まみれになって作った人たちについて考えてくれるなら、この企画展をやったかいがあったってものです……。」
あたしは次ぐ。
「あたしも失業した人たちの話を聞くけれど、ムネさんの言うとおりだって思うときがある。」
ムネさんは上野駅のホームで、高度経済成長を支えた人々の姿を見てきたし、あたしはカウンセラーとして、失業、中途失職した人たちの話を聞いてきた。「一部の人間を持ち上げるだけのもので、現場で組んだ人間、営業その他で支えた俺らを軽視している」とさんざん『プロジェクトX』をこき下ろしていた人もいる。「俺があれを実際に作ったんだ」、「営業で歩き回ったんだ」と胸を張る人もいる。こういう人たちがいたからこそ、技術屋が好き勝手なことをできたのではないか……と思うときがある。
高美先輩がいう。
「交通博物館で言うのもなんだけど、新幹線が結果的に国鉄を赤字にして、分割民営化に追い込んだ原因を作ったといっても、否定はできない。だけど、ムネさんも古いね。昭和30年代の歌や映画のタイトルがぽんぽんでるし。」
ムネさんは、苦笑して返す。
「いや、変な話をしてしまいましたね。どうも失礼しました。この車はさすがに警察用としては使われてはいませんが、映画やドラマなどの撮影では、立派なパトカーとして使っています。」
「撮影用の特機なんだ。」
高見先輩が言ったので、あたしが、
「今も動かせるの…?」
と目を輝かせると、ムネさんは続ける。
「ええ。整備状況良好、セル一発です。」
「レイヤーズの撮影で、使いたいわね。」
高美先輩が言うと、ムネさんは返す。
「それは、僕も思いました。ですが展示品ですからねえ……。実車で走らせて写真を撮るときには、レイヤーズのみんなに協力してもらいますよ。」
「そのときには、呼んでね。」
「ええ、もちろん。歴代の車両にトゥディも来ていますから、ゆっくり見ていってください。」
ムネさんは、上野駅のホームに立っていたときももちろんだが、今日も生き生きとしていた。やりたいことがやれるようになった彼が、ほんの少しだけ、うらやましくなった。