白昼夢
社会人編
〜助手・犬飼高美の人生相談〜
「命を狙われているんです」
大学の助手というのは、事務処理の片手間、単位として認定される講座を持ち、学生を指導する、教授へ進む第一段階にするところと、単に事務処理しかさせないところと、二つあるらしい。あたしの入った大学は後者で、助手主催で講座を開こうと思っていたところ、同好会扱いも受けられず、大学からの予算措置はおろか、教室の優先的配分もなく、がっかりした。しかし、講座を開くといったところ、参加したいと名乗り出てくれた学生が何人もいるので、助手の勤務と警備員のアルバイトがそれぞれ非番だったり、勤務まで時間のある日に授業の合間を見ては、句読点をまったくいれず、改行や一字空けで代用したり、皇族に関係する文言は一字空けるか改行する、昭和20年までの公用文独特の書式や、日本流漢文の用法の入り混じった、近現代文書を読む会をやっている。
それはともかく。いまはあたしが助手の中では最古参。最先任助手として、博士課程を満期退学で終え、あたしと同じく3年以内に博士論文を書き、審査に通れば博士号が取得できる、研究の道へ進む第一段階として助手を経験する本来あるべき姿と、学部卒…助手を副手と改名し、単なる事務処理のパート的存在にするといううわさの元でもある…の二人の後輩の指導にあたりつつ、日々の一般事務や雑用を片づけなければならない。
そこへきて、年齢的には現役の大学生と近く、事務職員でもなければ教授、助教授、講師といった教員でもない中間的存在のあたしたちは、4月5月は高校までとはまるっきり違う大学の生活に慣れない新入生の、11月12月は卒論が書けないと切羽詰った4年生、2月3月は単位を落としそうで、留年ぎりぎりや、内定はもらえたが卒業が危ない学生の対応にあたったりもするし、人生相談に乗ったりもする。
人生相談で思い出したが、非常勤講師に格上げになった、工藤先輩、五十嵐先輩のさらに上の世代では、カルト宗教集団にはまった友人を助け出してほしいという相談を受け、単身、教団に乗り込んで有無を言わせず引きずり出したという武勇伝を持つ人がいる。その人は女性だが、父親は元は職業軍人でその後自衛官となり、駐在武官もやったという人だから、しつけも厳しかったようで、それが裏づけとなったのか、度胸もある人だ。現在は非常勤講師として大学に来ているので、しょっちゅう顔を見るし話もするが、単身カルト宗教の集団に突入、問答無用で相手を引きずり出すなんてことができるのかなと思わせる、普通の女性だ。
「犬飼だったら、レイヤーズの面々を率いて立ち回りを演じるね、絶対。」
というのが、似たような事件が発生したとき、あたしがとりうる確率が一番高い対応策なんだそうだ。「無謀と勇気の違いは知っていますから」といっても、教授陣はおろか、学生課をはじめとした事務職のみんなも信じて疑わない。
もっとも、こう言われてしまうのも一理ある。学部時代から、警察官や消防官といった、官公庁や運輸通信系の制服を主体にしたコスプレイヤーの集団、コスプレ集団・レイヤーズを率いているうえ、記録係の一千尋、村瀬頼子の筆により書かれた、天誅組、墨東署特高課といった狂信的ファン集団との立ち回りも、何回か経験しているし、大学周辺の町内会に協力し、防犯パトロールにもあたっている。もっとも、あたしの場合は、レイヤーズの「参謀総長」、湯浅の御大がいるから、手段の一つに突入はいれてはおくが、他の手段も講じる。
さて。そんなある年の夏休み期間中のこと。
2月3月は学生は冬休み期間中とはいえ、卒業、進級、入学の準備であわただしいが、集中講義も終わった8月のお盆前になると、学生の成績もつけ終わった教員も夏休みに入り、出勤しても、研究室宛に来た郵便物の仕分けと電話番程度しか、することがない。よって、単独での勤務になる。今日は時間のあるうちに、春学期中に出た、引き取り手のない忘れ物を整理しておこうと思い立ち、傘は自由に使える置き傘とし、まだ使える文房具や衣料品は、学内の発展途上国の支援を行うサークルにひきわたす。書籍の類は、ジャンルによりけりだが、蔵書に「無名氏寄贈」として編入するか、二束三文で古本屋に引き取ってもらう。授業で配ったプリントのあまりなどは再生紙コーナーに入れる……と仕分けていると、一人の学生がやってきた。やせてほっそり、度のきつい近眼鏡をかけている。見たところまじめそうな学生だ。
「あの、犬飼高美さんはいますか。」
普通、こういうときは「助手さんいませんか」だが、ご指名とは恐れ入る。
「犬飼高美はあたしですが、何か用ですか。」
「実は、ご相談したいことがありまして……。」
目を上げて、よく彼の顔を見る。顔色はよくない。
(これは何か、重大なことがらを抱えている)
と判断したあたしは忘れ物整理の手を止め、彼の話を聞くことにした。
「夏休み期間中はね、助手は基本的に一人勤務なんだ。やることがなくってさ。で、相談したいこととは。」
教授が学生と対応するときに使う応接セットに彼を通し、あたしも麦茶で一服つける。
「相談したいこととは、僕…いや、自分は、何者かに命を狙われているうえ、嫌がらせをされているんです。」
「命を狙われているうえ、嫌がらせをされているとは穏やかじゃあないわね。何をしでかしたの?」
すると彼は、しばらくもじもじしたのち、決断したかのように、言った。
「自分は、同人活動をしています。」
「それがどうして、命を狙われるようなことにつながるのよ。文芸同人で別の人を非難したとか、秋葉原なんかの同人書店では扱われない、コミケット三日目に回されることが多い「評論」で、過激派や右翼の悪口を書いたとかしたの…?」
「いいえ。同人といっても、犬飼さんの言うような硬派路線ではありません…三日目というのは、あっていますが…。」
「ということは、あんたの活動しているジャンルは、「男性向け創作」になるわけね。カップリング騒動に巻き込まれたとか?」
同人の世界では、「○○は□□が好き」といったふうに、原作者の意図していない、男女間どころか同性愛の恋愛関係を勝手に…というと語弊があるかもしれないが…作っていて、同じ作品が好きな人の中で、○○派、○○派…と派閥を形成している。それぐらいならまだいいが、ひどい場合には別のカップリングや、それを支持する人の悪口を言う。同人誌即売会場で、本人の目の前で聞こえよがしの悪口を言ってトラブルになることはざらで、インターネット上の掲示板では悪口合戦になることもある。まだ、それが原因で殺人事件や傷害事件が起こらないだけましだ。
「そういうのだったら、まだ気が楽です。」
「まだ気が楽ですというと…、狂信的ファンサークルに狙われるようなことをやったわけね。どこにやられそうなのよ。」
あたしの言葉に、彼は、数枚のビラを取り出した。
「被害が出る前に性犯罪者○○を町内から追い出せ!」
「性暴力の加害者○○」
でかでかと書かれたビラには、『逮捕しちゃうぞ』の辻本夏実・小早川美幸や、『バーンナップ・エクスプレス』の甲子園利緒、神宮真弥が悪の組織に監禁されて、性犯罪、性暴力としかいえない目に遭わされている漫画と共に、「これを描いているのは、○丁目×番地のハイツ何某に住んでいる○○だ」という書き出しで始まり、性犯罪予備軍だからこのような内容の漫画が描けるのだと決めつけたうえ、結論は「性犯罪の被害者が町内から出る前に、性犯罪者○○を追い出すのみ」とある。
「エロパロ同人ってやつね、あんたが活動しているのは。それで、婦警至上主義者の墨東署特高課の攻撃対象にされた、と。」
「…はい。こんなビラが町内の個人宅やアパート、事務所問わず一軒一軒のポストに入れられたり、町内会の掲示板に張り出されたりしているんです。」
「この漫画、あんたが全部描いたの?」
的外れな質問を受け、彼は、ぽかんとしている。
「はい…。」
正直な話、男の弱点を知りつくしている格闘ゲームのヒロインや、『逮捕しちゃうぞ』の夏実、美幸、『バーンナップ・エクスプレス』の利緒、真弥などが、性犯罪、性暴力としかいえない目に遭わされているエロ漫画を描く奴らは、同性として許せない。女性として、死に等しい目に遭わされているのだから。被害者の受ける精神的ダメージを考えてみろと言いたくなるときがある。それに、近年、日本の漫画やアニメーションを外国に輸出しようとする動きがある。確かに、思想性を含んだものや、原作が子供向けとはいえ、とっつきにくい名作をわかりやすくした作品など、レベルの高いものもある。やや話題がそれるが、フジテレビ系列で日曜午後7時30分から放送されていた「世界名作劇場」で、『赤毛のアン』が取りあげられてから、カナダの舞台になった島に訪れる日本人観光客が増えたという。その反面、日本ではさほどでもないとされるレベルでも、性描写が露骨だとか、暴力シーンが多いと言われていて、年齢制限がかかるならともかく、せっかく正規ルートで著作権者から翻訳権を得て、翻訳した漫画が発禁処分を受けたり、検閲で削除されるページが出るといったことも起こっている。
それに、最近ではインターネット書店で、日本国内では18歳以下は所持すら禁止されているエロ漫画やエロ画集、エロゲームを外国にいても買うことができる。この手のジャンルは、作る人間、買う人間の良識、良心を疑いたくなるような、性犯罪、性暴力としかいえない目に女性が遭わされている作品があふれかえっているから、それを読んだりプレイした外国人は、「日本人女性は漫画に描かれているようなことを平気で受け入れる。むしろ喜ぶ」、「日本人男性は女性に平気で、性犯罪、性暴力としか言えないことをする」と誤解している者もいるのもまた事実だ。挙句の果てには「ヘンタイ」、「ブッカケ」が英語などに溶け込んでいて、「ブッカケ」は放送禁止用語扱いを受けている。そういうことを知っているのかいないのか、性犯罪、性暴力としかいえない目に女性が遭わされるエロ漫画を描くことを「表現の自由」と言いくらまそうとしている奴らの存在が、腹立たしい。
あたしは言う。
「正直な話、あたしもね、あんたが描いているようなエロ漫画を描く奴らが許せなくなるときがある。同じ女としてね。あたしの今日のこの姿を見て、誰を意識しているか、ぴんと来ないかい?」
「えっ…。」
今日のあたしの服装は、左右に胸ポケットがつき、青い肩章つきの白いブラウスに、水色のネクタイ。冷房がかかっているが、28度以下に下げられないので、腕まくりをしている。それで紺色のキュロットスカート。『逮捕しちゃうぞ』の辻本夏実を意識した、着こなしだ。
彼は、青ざめた。味方になってくれるはずの人が、敵対する集団に所属しているとは……。
しばしの間ののち、彼は、麦茶で口を湿すと、かろうじてこれだけを言った。
「犬飼さんの姿は、アニメ版の夏実とほとんど同じ。犬飼さんも、関係者だったんですね。」
「なんの?」
「墨東署特高課の。」
「冗談言っちゃあいけない。それに、話はよく聞いてから結論を下すものよ。」あたしは続ける。「なんであたしが墨東署特高課の関係者にならなきゃならないのよ。あいつらはあたしらの敵。コスプレ集団・レイヤーズって聞いたこと、あるだろう。あたしが会長で、大学のある町内の防犯パトロールに、歴代の警察官制服姿で協力しているって。」
にわかに彼の顔色は、よくなった。味方してくれるとわかったからだ。
「武勇伝はあちらこちらで聞いています。犬飼会長以下、鉄の結束を誇るレイヤーズの活躍は。」
「それはありがとう。だけど、誤解のないように言っておくと、あたしが許せないといったのは、墨東署特高課のやり方であって、あんたが描いている漫画の内容ではない。あんたも知ってのとおり、夏実、美幸はもちろん、頼子だって警察官。いかにして自分は最小限の被害で、相手を傷つけず、確実に戦闘力を失わして逮捕する、逮捕術や格闘技の心得がある。うかつに夏実に手を出してみな。数か所の打撲や骨折程度で済めばもうけもの。下手すれば望まないのに性転換手術を受けることになって、双葉葵にうらやましがられる存在になることもあるんだよ。」
これは事実。本物の宗村夏実さんや、パートとはいえ警備員をやっている後輩の鳴海悠子、それに地域防犯巡視員のあたしとったレイヤーズのメンバーは、必要最小限のダメージで相手を取り押さえる、各種格闘技が入り混じった逮捕術の訓練を受けている。女性対男性の場合には、近藤さんや守谷姉妹といった一部の例外を除けば、体力、体格に差があるから、男の弱点を的確に狙うことが求められる。となれば金的一発ノックアウトという選択肢もある。警察官である夏実、美幸のように「相手を傷つけてはならない」という制約のない、格闘ゲームのヒロインキャラなら、こんなエロ同人活動をやっている奴らの過半数と対決した場合は、相手が武器を持っていたとしても、瞬殺という言葉がまさにあてはまる立ち回りを見せるだろう。打撲と骨折程度で済めばもうけものだし、命があって、男でいられたらそれだけでも幸いと考えなければならないキャラもいる。無論、普段なら男をやっつけてまわるヒロインが襲われる、そのギャップが描きたいからこそ、エロ同人作家は強い女を狙うわけだ。
「だから…、だから、現実ではやれないことだから、やってはいけないことだから、架空の人物を使って、架空の世界でやっているんです。」
彼の言葉に、あたしは返す。
「あんたはエロ同人漫画を描いただけで、墨東署特高課に性犯罪者呼ばわりされている。いくら好きなキャラが汚されたからといっても、架空の人物。架空の人物が架空の世界で受けた被害を現実世界に持ち込んで、現実の女性には何もしていないあんたを性犯罪者呼ばわりするのが許せないのよ。さっき言ったようにね。ところでいま、この部屋は密室だ。あいつらの理屈では、あんたのようなエロ同人作家は、密室で男女二人きりになった場合、女性を襲うと決めつけているけど、今あたしを目の前にして、どう思う?」
しばしの間ののち、彼は答える。
「襲うなんて、とんでもない話です。今の犬飼さんは、自分にとっては救いの女神とも言える存在なんですから。」
あたしはこの答えに、くすりと笑って返す。
「そこがわからなくなっているのが、墨東署特高課なのよ。奴らは、架空の人物でやったから、現実でも実行しかねないという、理解に苦しむ論理で行動しているからね。なにはともあれ、墨東署特高課が攻撃してきた場合、あたしたちレイヤーズは、あんたを見捨てはしない。いつでも力になるから。それに、警察にも相談したほうがいい。明らかにこのビラは、名誉毀損が成立するからね。」
「実は、大学に来る前、警察に相談したんです。そうしたら、犬飼さんを紹介されたわけです。」
「そうなの!?」
所轄警察署で相談したところ、担当の警察官は「民間人だが…、この手の問題の対応に慣れているし、通っている大学の助手だからね。相談しやすいのでは」と、レイヤーズの犬飼高美を頼れと紹介したという。そう言われただけで、いままでやってきたことは正しかった、よかったんだという気がしてきた。
「今のところは、下手に奴らを刺激するような言動は謹んで。一枚だけだから、名前は出さないからといっても、この手のジャンルは、個人はもちろん、合同企画にも参加しないこと。ホームページを持っているなら、墨東署特高課などを刺激すると思われるようなものは、一切削除すること。そのときの理由は、「思うところがあって」とか、「サーバの容量の関係で」とか、他の理由にして。「某サークルに嫌がらせを受けた」といったように、暗にでも墨東署特高課の名前を出さないこと。相手を怒らせるだけだからね。さっきも言ったように、奴らはあんたの利き腕を一生使えないようにしても、罪だとは思わない集団だから。なにかあったら小さいことでも迷わず110番。それほどではない、大騒ぎにしたくないと思ったら、あたしの携帯電話に一報入れて。レイヤーズも、全力で助けに行くから。」
「はい。ありがとうございます」
来たときとはうって変わって、顔色のよくなった彼を見送りながら、あたしは複雑な気分になった。
確かに、同性が性犯罪、性暴力としか言えない目に遭わされる作品を見せつけられて、気分がいいわけはない。だが、墨東署特高課のやり口はさらに気に食わない。いままでは直接行動で攻撃してきたので、敵ながらあっぱれ、ほめてやると言いたくなるところもあった。が、今回は周辺住民を味方につけようとするのか、中傷ビラをまくといった陰湿なことをしてきた。何回か奴らは行動し、そのつど検挙者多数となっているから、幹部が入れ替わって、作戦も変わったのかもしれないが……。
あの相談から、一か月。彼のアパートは防犯パトロールでの警ら地点の一つになっている。今のところ、墨東署特高課は、ビラ攻撃もやめている。奴らの情報網で、レイヤーズが動き出したので、うかつに手を出すとやっかいだと敬遠しているのではないかというのが、湯浅参謀総長の観測だ。が、しかし、近いうち『逮捕しちゃうぞ』のアニメが第三弾として放映されるという情報が入ってきた。これによる「売れるから描く」とほざく便乗エロパロ作家と、それを攻撃する墨東署特高課、双方の出方は未知数。これから年末にかけて、両者ともども、目が離せなくなりそうだ。