白昼夢大学院編ある日の二人〜江戸東京たてもの園、

白昼夢
大学院編
ある日の二人
〜江戸東京たてもの園、博物館ボランティア〜


 「激動の昭和彩った、あの日の姿、今ここに」をモットーに掲げ、官公庁や運輸通信系の制服姿のコスプレをメインに活動する、コスプレ集団・レイヤーズ。その活動は地域の防犯・防災・交通安全などに協力するだけではなく、博物館で展示品の解説や館内の案内などを行う、博物館ボランティアにまで及んでいる。
 江戸東京たてもの園が、博物館ボランティアを募集したとき、レイヤーズは集団で応募し、「歴代の警察官制服を持っている」と会長の犬飼が言ったところ、レイヤーズの受け持ちは、万世橋のたもとにあった、万世橋交番と即座に決定した。現役時代の万世橋交番の受持区は、現在の神田須田町、岩本町といった、万世橋と和泉橋を挟んだ地域になる。中央線の東京延伸までは、交通博物館のあった万世橋駅が中央線の始発駅だったので重要だったが、中央線が東京駅まで延伸されると利用者が激減。昭和
18年に駅が廃止となると、岩本町に交番が建てられたのもあり、近くの交差点の交通課巡査の休憩所や、巡回連絡所といった存在となって、江戸東京たてもの園へ移築に至っている。都内市街地の交番のほとんどは、関東大震災と戦災で焼けているし、そうでないところも、時代の変化と住民の要望から警察官の配置数を増やすため、二階建てなどに改築しているから、明治から昭和戦前にかけての建物は、貴重だ。
 レンガ造りで重厚な建築だが、中は意外と狭い。
14平方メートルにもならない平屋の建物で、一畳ほどのコンクリート打ちっぱなしの土間が、事務室。薄い壁を隔てて奥の二畳が休憩室。残りの二畳は通路と収納スペース、便所に当てられている。
コンクリート打ちっぱなしの事務室には、白い机と、レイヤーズ会長で警察史家を目指す犬飼高美が考証し、史料に基づいて再現した、戸口調査簿などの昭和
10年代〜20年代の交番備付の書類に交え、来園者に渡す解説書類を置き、解説兼構内警備担当のレイヤーズの面々が、待機する。今日は鳴海悠子、宗村高光のペアだ。
 「この制服と建物が現役だったころとは、時代が合わないんだけどね。」
 「そのへんは、大目に見てもらうしかないね。もっとも建物自体は平成
5年まで万世橋警察署が管理していたんだから、この制服の警察官がいたって、おかしくない話にはなるから。」
 二人の制服は、このシリーズに長い間おつきあいいただいている読者諸賢ならご存知。マニアやレイヤーの間ではいまだに「旧制服」で通じ、現役警察官からも「前の制服のほうがよかった」とさえ言われる、鳴海はド・ゴール帽の異名のある制帽に、灰青色アウトポケット4つボタン、水色ネクタイに白色の警笛吊り紐、センタープリーツのスカートの、昭和
51年制定の婦人警察官制服。宗村は、紺色4つボタン、左右の腰ポケットは飾りフラップで、帯革に拳銃、手錠嚢、木製警棒を装備する、昭和43年式制服だ。今日は寒いので、警らするときは、宗村は昭和51年に革のハーフコートが採用されるまで使われた、黒ラシャダブルで金ボタンの外套、鳴海は同じく昭和51年式婦人警察官服制に定められている、紺色生地で仕立てられた、トレンチコート式外套を着ている。
 昭和
10年代までに作られて、戦災を免れた建物は、昭和40年代後半〜50年代まで、増築や設備の近代化を繰り返しながら使われ続けたので、この制服でいても、あながち間違いではないが、詰襟式で階級章は肩章、銀色サーベルの昭和10年式が一番しっくり来るので、イベントのときやメンバーの趣味で、制服の時代を変えることもある。
 二人の任務…というほど大げさではないが…は、園内にある建物の解説と、各種施設への案内、それに、保存建築物や保存車両から部品や展示物を失敬しようとする不届き者がいないよう、警らすること。二人を初めとしたレイヤーズがボランティアとして採用された時点で、一通り園内の建物についての解説は受けているが、園内ガイドは定年退職などで暇になった、フルタイムで勤務できるボランティアのおじさん・おばさんにお任せして、レイヤーズは土日、祭日などを中心に、万世橋交番前での立番と交番の解説、園内の警らに専念する。もちろん、記念撮影を求められた場合は、喜んで応じる。自治体警察警視庁管内では昭和
25年から2年間行われた、常時警察官が受持区のどこかしらを警らしている、ビート方式の時期、盛り場で行われた、男女ペアの警らを「アベック・パトロール」と当時の新聞は伝えたが、それが60年近い時を超えて復活しているのだから、なおさらだ。
 先ほど、メンバーによって制服の年代を替えると書いたが、実際にアベック・パトロールが行われた、男性は昭和
27年式、女性は昭和21年式制服姿で、ペアを組んで警らすることもある。
 「思ったより、狭いのね。もう少し広いかと思っていたんだけど。」
 休憩室にいる鳴海が言うと、宗村が返す。
 「本署が歩いて十数秒もしない位置に建っていたんだから、なにかあったら本署に連れて行くことのほうが多かったんだろうね。落し物の一件書類作成とか、迷子の保護程度ならここで片づけたのかもしれないけどさ。酔っ払いの保護や、スリや痴漢、置き引きの現行犯逮捕で、万世橋の駅員がここまで連れてきた場合は、ここで身柄を引き受けて、本署まで連れて行ったのかもしれない。」
 奥の休憩所から、鳴海が出てきて、立番中の宗村の隣の事務机に向かい、次ぐ。
 「昭和
30年代に入るまで、交番勤務は二人か三人で一昼夜、1時間立番→1時間警ら→1時間休憩のローテーションであたっていたから、警察官の勤務は今よりきつかったっていうのは、万世橋交番の中にいると、納得できる。薄い壁で隔てられただけの二畳の休憩室で、時間か2時間の仮眠でまた勤務となると、寝られたとしても、疲れはたまる一方ね。同じ24時間勤務でも、今のほうが、まだ楽ね。あれだと第一当番、第二当番といったように、勤務者も増えているうえ、24時間勤務でも、仮眠時間が4時間程度は確保されているし、休憩室の壁も厚くなっているし、二階建てになって、事務室の上の階に仮眠室が設けられるようになったから。」
 立番中の宗村が、返す。
 「冬だと体が冷えるから、警らから戻ってきて、やっと寝ついたと思ったところで、起きてくれ、交代だ…というのがほとんどだったんじゃあないかな。それに、駅前だから列車の騒音や雑踏もあって、疲れていても寝られなかったかもしれないね。」
 鳴海が、戸口調査簿を整理しながら次ぐ。
 「事件事故が起こらなければいいけれど、なにかあったら非番も休憩もなしで非常線を張って不審尋問や雑踏整理、現況監視にあたらなければならないし、戦争前は、戸口調査や営業監督といった、本来警察がやらなくていいことまでが、警察の任務に入れられていたからね。」
 昭和
21年まで、警察のやらなければならない事務作業は、煩雑極まりないものだった。今は警察官が他の職務に忙殺されて、ほとんど行われない巡回連絡は、昭和21年までは戸口調査と呼ばれて、強制力があった。受持区内の住民の動態を把握し、怪しい人物を洗い出すのが目的で、生計を立てている手段など、相当込み入ったことまで質問したうえ、相手が留守なら、会えるまで行かなければならないなど、警察官の負担にもなっていた。それに、警察・消防合同時代だったので、消防署の警防課や予防課が行う、石油などの危険物の取り扱いが適切に行われているかの監督に加え、現在なら厚生労働省の社会保険事務所や市町村がやる、国民健康保険の事務に、労働基準監督署が行う、労働者の安全面や衛生面での監督などの労働行政、市町村の保健所が行う、食堂や喫茶店、床屋や薬局の営業許可などの衛生行政、同じく市町村の建築関係の部門が取り扱う、建築確認の許可や立ち入り検査などの建築行政も、内政全般を担当していた内務省が所管していたので、本省では警察とは関係ない部門がやっていても、交番・駐在所が許認可書類を取り次ぐ形になり、結果的に内務省の出張所となっていた。これらの事務のほとんどは、昭和15年に厚生省ができると、そちらに移管されたが、警察も協力を求められ、戦時下、本土防衛まで任務に入れられた中、相当の負担となっていた。完全に分離するのは、昭和23年の警察法の施行までずれ込む。
 さらに、法律関係の相談ごとがあれば、交番・駐在所は管内住民の駆け込み寺的存在で、親子喧嘩、夫婦喧嘩の仲裁に乗り出すこともあったし、「この人を採用したいので、身辺を調査してほしい」、「この会社に就職したいが、営業実態はどうなのか」という調査依頼が来れば、無視するわけにはいかず、日常勤務の時間を割いて、返事しなければならなかった。日中戦争は始まっていたが、親日政権ができて小康状態となり、まだドイツはポーランドへ攻め込まず、第二次大戦が始まる前の、まさに「嵐の前の静けさ」だった時期を、井伏鱒二が、瀬戸内の駐在所勤務の甲田雅一郎巡査の日記という形でつづった『多甚古村』でも、駐在巡査の業務の数々が触れられている。
 今日は
1224日、クリスマスイブ。シベリアからは寒気団が南下、伊豆大島近海を低気圧が通過するので、関東地方に大雪をもたらす気圧配置になっている。天気予報は、
 「今日はホワイトクリスマスになるでしょう」
 と、繰り返し報じている。暖かい日なら、保存してあるボンネットバスや都電、映画にもなった『三丁目の夕日』に出てくる建物がある…というので、あの時代をリアルタイムで過ごした人達や親子づれに加え、静かなところでデートしたいというカップルの姿も見られるが、さすがに今日は園内にほとんど人影はいない。ときおり見えるのは、建物園の関係者か、ボランティアだ。
 「今日はクリスマスイブ。同じデートするなら、屋外で寒い思いをするより、お台場や横浜の、イルミネーションが見えるような、あったかい建物の中に行っちゃうわよね。」
 鳴海の言葉に、宗村が返す。
 「僕らはそういうシチュエーションが似合わないって、湯浅の御大だったか、岡部さんに言われたことがあったよね。『鉄道員ぽっぽや』の佐藤乙松のように「制服姿に私情を隠し、男はその日も、駅を守った」といった、制服姿で働く姿のほうが絵になるって……」
 ふとここで宗村は言葉を切り、空を見上げた。
 「雪だ。」
 鳴海も椅子から立ち上がり、空を見上げる。


右、津奈サチ版、左、絢月花音版
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 「幌舞駅の話をしていたら、雪になったわね。」
 曇り空から、ちらちら、白いものが降ってきている。
 「天気予報どおり、ホワイトクリスマスになった。そのうち僕らは、雪が降ることを喜べなくなるんだけどさ。」
 鉄道省・国鉄時代の鉄道員の、出世と学歴の関係を追っている宗村は、実際に働きながら学ぶ身分にならないと、わからないことがあると、鉄道員を目指しているから、雪は、雪原を走る国鉄朱色の単行気動車や、除雪列車、それに「雪と鉄道員」という構図で、鉄道写真では絵になるが、実際は定時運行の妨げにしかならないことは、百も承知だ。それに、関東地方は雪に慣れていないうえ、湿ったぼたん雪が多い。架線に雪がつき、その重みで断線したり、沿線の木が倒れかかって来ることもあるうえ、ポイントが凍結するかもしれないので、夜通し保線区、給電区は警戒しなければならないし、除雪列車のダイヤを組んだり、予備乗員・予備勤務者の確保、振替輸送の準備など、機関区、車掌区、駅も万全の体制で臨まなければならない。
 さらに、これだけ警戒していても、ポイント凍結、架線の切断などで運行できなくなれば、復旧にあたる一方、特急券の払い戻しや振替乗車の乗車券の配布、旅客の誘導などで、目の回る思いをする。それは、今現在、朝夕の混雑時間帯に構内で整理する、駅務補助のアルバイトをしている宗村も、何回か経験している。
 鳴海も、大学院博士課程へ進む学費を稼ぐべく、長年習った棒術を生かし、警備員のパートをしている。駅ビル内の勤務なので、基本的には定時の定線警らと、守衛所での出入者の確認が任務だが、雪が降れば転倒しないよう雪かきをし、そのあと積もらないように塩化カルシウムの散布をしなければならず、場合によっては歩行者の誘導も行う。
二人とも、雪など降らなくていい、積もらなくていいという職業に関わっているし、これから本物になるのだ。
 だが、今日だけは違う。
 アルバイトは二人とも非番。呼び出される心配もない。まだ、同年代の他の男女と同じく、ホワイトクリスマスだと言っていられる。
一年後には、ホワイトクリスマスだと言っていられなくなる身分になる二人は、江戸東京たてもの園の建物が白くなるほどになってきた雪を、万世橋交番の中から、しばし、見いる。