下手の横好き模型雑記帳
元祖「鉄道むすめ」
トミーから、鉄道むすめと銘打って、現行の鉄道女子職員のデフォルメされたフィギュアが出ている。このシリーズの中に、ぜひともいれてほしい制服姿がある。それは、戦時中のものである。
拙作品「白昼夢」シリーズの『本領発揮だ、レイヤーズ』、「独立短編企画」の『8月15日の鉄路 〜敗戦の日も鉄道は動いていた〜』で触れたように、昭和12年(1937)の日中戦争開戦以降、熟練男子鉄道職員が、鉄道連隊を始めとした部隊への軍人としての応召、特設鉄道隊などへ出向している。
質の低下を量で補うほかなくなった時期に、鉄道省など鉄道事業者が目をつけたのは、旧制高等小学校や小学校を出たばかりの若年労働力と、女子労働力だった。無論正規職員だが、周知の事実で、昭和15(1940)年前後からは女子挺身隊、昭和18(1943)年からは動員学徒という形でも働いている。
日中戦争開戦以前からも女子職員は存在したが、特急列車の客室乗務員、駅か鉄道本部の事務職や雑用係、工場、車両の清掃などの軽作業、踏切番、保線の作業補助員程度だった。

国有鉄道女子現業職員(昭和13年〜20年)
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「鉄道むすめ」には、運転士、車掌という設定のキャラクターがいるが、あの当時を思い起こしていただきたい。蒸気機関車華やかなりしころで、輸送事情は日に日に逼迫、補修部品の不足と熟練工の欠員で故障が頻発する時期である。
機関助士は、煤煙まみれになって片手での給炭を行い、機関区では石炭ガラと煤をかき出していた。運転助士、車掌は運転士とともに、時として車両故障の応急処置に当り、殺気だった乗客と向き合わなければならなかった。
さらに、艦上機の機銃掃射が始まると、目標となった列車に乗務した女子車掌は、乗客の避難誘導に当り、敵機が去れば死傷者を救護、放心状態の乗客を叱咤激励、列車に戻して遅延を回復させなければならなくなる。
10キロ近い専用工具のビータを使い、男子職員ですら翌日は休みにしなければならない重労働の路盤突き固めなどの保線作業に当った保線員、戦時生産簡易型のD-51、D-52、EF-13などを大宮や鷹取などの国鉄工場で作った技工、正規の制服ではなく、セーラー服の上着にもんぺで勤務した動員学徒の女学生、地味なもんぺ姿の女子挺身隊員も魅力的アイテムだが、「鉄道むすめ」は保線、工場など管理部門は除外されているので、今回は省略する。
乗務していた列車が機銃掃射を受け、自らも負傷し、止血した三角巾から血がにじんでいる状態で当務助役に申告する女子車掌や、煤煙まみれの仕業服姿で石炭をくべる女子機関助士を出せとは言わないが、忘れてはならない昭和の一瞬、「昭和20年8月15日、敗戦の日も鉄道は動いていた」、時に自らの命を賭け、時に自らの生活を擲ち、戦時運輸任務の遂行と戦後復興に、男子職員と共に尽力した女子職員の制服姿を、限定販売でもよいので、出すべきではなかろうか。